まさかサリンジャーを読んだ後に、とにかく愚痴が言いたいから高校の友人に読んでほしいと切望するとは思わなかった。最後の〈逆さまの森〉のことなのだけれども、自分には覚えがありすぎる。読んで欲しい高校の友人も、似たような捕食的な人間関係につかまる弱点を持っているので、2時間は話せると思う。しかし友人は忙しいので、仕方なく妄想で済ませることにする。「あるよなあ」という友人の声が聞こえる。「持って生まれた性根とかってあるからなあ。しゃあないなあ」。
同じように表題作になっている、最初の〈彼女の思い出〉もまた、人間関係が敗れる話だ。他の作品も、亡くなるとか経年劣化するとかそもそも出会わないとか、はーどんな形でも壊れるな人間関係、としょんぼりするのだけれども、本書にはそれを俯瞰して何かいいことを言おうみたいな視点は一切ない。小説はどれも、愚直なまでに「なすすべもない私たち」の話でいてくれる。そしてなすすべがなかろうと、かつてあった純粋さは消えない。すべての小説は、その純粋さの一瞬が閉じこめられているという意味で共通している。
本書の中でももっとも純度が高いと言える〈ブルー・メロディ〉は、〈逆さまの森〉とも共通するボーイ・ミーツ・ガールが基盤となって展開していく話で、主人公のラドフォードと友情を結ぶ積極的な女の子ペギーがとても魅力的だ。ラドフォードは、ペギーが喉にガムを貼り付けて顎を引いている姿を見て「かっこいい」と思い、ペギーはラドフォードが「黒板の前に立ってるところが好き」と言う。2人はブラック・チャールズという大好きな黒人の店主のところで、彼の姪のリダに出会う。リダは優れた歌手なのだが、ラドフォードが寄宿学校に行くために催されたさよならピクニックでの出来事が、彼らの運命を変えてゆく。人種の違いを意に介さない子供たちと、子供を区別しない黒人の2人との交流は、永続しないものでありながら、心温まる永遠の何かとして描かれる。
問題の〈逆さまの森〉は、自立した申し分のないドイツ移民の女性コリーンと、母親の陰に囚われた詩人レイモンドという、10代前半に出会った2人の淡泊な結婚がどのように軌道を外れてゆくかという話だ。善悪を超えた人間関係のエネルギーに巻き込まれてゆく2人を固唾を呑んで見守りながら、空虚さを満たすものが時には図々しさであったりすることをなんでこの作家はこんなによく知っているのだろうと驚く。
だからこそなのか、醜男で声もへんな〈おれの軍曹〉のバーク軍曹の「1人きりで何でもできる」人生はしびれる。彼のことを「おれ」と妻のホワニータが分かち合うことは、人と人が関わることの贈り物のように思える。
Jerome David Salinger/1919年ニューヨーク市生まれ。40年に短篇「若者たち」でデビュー。51年『キャッチャー・イン・ザ・ライ』刊行。53年『ナイン・ストーリーズ』刊行の後、ニューハンプシャー州コーニッシュに隠遁。2010年没。本書には、大戦を挟んで書かれながら本国では未刊行の9つの中短篇が収録。
つむらきくこ/1978年大阪市生まれ。作家。2005年『君は永遠にそいつらより若い』でデビュー。近著に『やりなおし世界文学』。