浦和駅は、埼玉県の県庁所在地の駅である。
浦和という名はJリーグ・浦和レッズによって全国に知れ渡っているし、なにより2001年に周辺の大宮市や与野市と合併してさいたま市になるまでは、県庁所在地・浦和市として学校でもお勉強したことがある。人口約730万人の埼玉県の中心が、この浦和にあるといっていい。浦和駅は、そうした町のターミナルだ。
だからとうぜん、浦和駅の歴史も古い。浦和駅が開業したのは1883年7月28日。当時の日本鉄道が上野~熊谷間を開通させたのと同時に浦和駅もできている。
そのとき、埼玉県内に設けられた駅は浦和のほかに上尾・鴻巣・熊谷のみ。現在のさいたま市内では、唯一の一期生というわけだ。ちなみに、埼玉県内最大のマンモスターミナル・大宮駅が開業したのは、浦和駅より2年も遅い1885年のことである。
いったいなぜ、浦和駅は“一期生”として開業したのだろうか。そのナゾを解き明かすべく……というほどたいそうなことでもないが、浦和駅にやってきた。県庁所在地なのに、鉄道に限っていえば大宮駅よりも明らかに存在感の薄い浦和駅。いったいどんな駅なのか。
鉄道的には「大宮駅よりも明らかに存在感の薄い駅」だが…
いまどきの都会の駅はだいたい橋上駅か高架駅になっている。浦和駅の場合は高架駅だ。京浜東北線、上野東京ライン系統・湘南新宿ライン系統がそれぞれ島式ホームを1面ずつ使う3面6線の構造だ。ほかに私鉄が乗り入れているわけでもなく、首都圏の県庁所在地のターミナルにしてはだいぶシンプルな構造といっていい。
高架下の改札を抜けると、そこで駅の東西どちらに向かうかの選択を迫られる。
こうしたときの王道は、あらかじめ古い地図を見ておいて、昔からの市街地に近い“正面”に向かうこと。
もちろん大都市のターミナルであれば、正面の反対側にも市街地が広がっている。浦和駅の場合は、東口側の駅前広場にはパルコが鎮座する。人通りも多いし、立派な駅前広場もあるし、裏路地へと入っていくと小さいながらも活気溢れる商店街。その少し先は住宅地になっている。
が、浦和駅のナゾを解き明かすには、やはり“正面”を歩かねばならない。浦和駅の正面は、西口である。