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細い路地ばかりの“整っていない”町並みと「日本の歩みが凝縮された町」
中山道や裏門通り、さくら草通り、県庁通りなどを中心に、浦和駅西口一帯の繁華街の中を歩く。だいたいが小さな店舗が中心の、いかにも首都圏の駅前らしい雑多でいてどことなく安心感のある雰囲気が広がる。ただ、そうした中でも目に入るのが、ところどころにある背の高いマンションだ。
古い住宅や店舗の跡地をまとめて確保し、そこにマンションを建てているのだろうか。いかにも宿場町時代の名残といえそうな路地の合間には、できたてほやほやのマンションとかなり年季の入った銭湯が向かい合って建っていた。
江戸時代以来の中山道の宿場町・浦和。近代以降も賑わいの中心軸は変わらず中山道で、その両脇に駅と県庁ができ、それぞれに通じる道も繁華街として発展してきた。
加えて東京のベッドタウンという役割も付加されていき、隙間を埋めるように住宅やマンションも建ち並ぶ。繁華街もそうした町で暮らす人たちに合わせた、実に懐の広くて親しみやすそうな店ばかりだ。
こうして細い路地ばかりの浦和駅を歩いてみると、確かにお世辞にもよく整えられた町並みとは言いがたい。が、これこそが、近世から令和のいまに至るまでの歴史のあらゆる過程がつまっている浦和という町の個性なのだろう。
なんとなく、江戸時代から近代を経ていままでの、日本の歩みが凝縮されているような浦和の町。町並みの断絶がなくこれまで続いてこれたのは、やっぱり浦和に県庁が置かれたから、なのだろうか。
写真=鼠入昌史
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