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ちょっとした公園のようになっている中央島にはあちらこちらに…

 西口側にはJR東日本さんの駅ではおなじみのアトレがあって、その駅ビルをくぐるようにして駅前広場に出る。

 こちらも東口に負けないくらい立派な駅前広場だ。ちょっとした公園のようになっている中央島には、「サッカーのまち」「浦和レッズ」といったあしらいがそこかしこ。やっぱり、浦和といったら浦和レッズ。浦和レッズは浦和という町の存在感を大いに高めているようだ。

 そんな駅前広場を取り囲んでいるのは、伊勢丹浦和店と浦和コルソ。どちらも1981年に浦和駅西口の再開発で生まれた駅前の商業ビルだ。この駅前広場の端からまっすぐさらに西に延びている大通りがある。その名も県庁通り。さすが、浦和は県庁所在地の駅なのだ。

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 県庁通りをしばらく歩いて行くと、やたらと人通りの多いスクランブル交差点にぶつかる。この交差点で県庁通りと交わっているのが、旧中山道だ。そう、浦和の町のはじまりは、中山道の宿場町にあった。

 中山道浦和宿は、江戸は日本橋から数えて板橋・蕨に続く3番目の宿場町。江戸時代には幕府の直轄領として、宿場としての機能に加えて市も立つなどの賑わいがあったという。埼玉県の県庁所在地とその玄関口になる駅は、そんなかつての宿場町に設けられたのである。

 いまも浦和周辺で特に賑わっている道はどこかと聞かれれば、この中山道沿いがだいいちに挙げられる。それこそ明治時代からの老舗も建ち並び、中山道に面して玉蔵院などの寺社もある。浦和の町はそんな近世以来の賑わいの中山道を軸として、東に浦和駅、西に県庁といういわば近代のシンボルを脇に従える形で成り立っているのだ。

 

古い地図を見てみると、少し気になることがあった

 が、ここで古い地図を見てみると、少し気になることがあった。いま駅前から歩いてきた県庁通り。その名前と現在の役割からして、駅と県庁を結ぶために駅の開業当時からあったものだろうと思っていた。

 しかし、古い地図には県庁通りは駅までは通じておらず、中山道と県庁を結ぶだけにとどまっている。そして浦和駅と中山道は、県庁通りよりも少し北側の道で連絡されているのだ。つまり、いまは一本道の県庁通りも、昔はちょっとちぐはぐだったことになる。