さらに、いつもと違う商品の担当に回されたこともある。同じメーカーの売れ線ではない商品の担当に回されたのだ。報復だと思ったけれど、彼は平然と「小川を修業に出した」などと言っている。
今こうやって振り返ってみれば、当時の私は追い詰められていたとわかる。でも当時は、追い詰められていることすらわからないほど混乱していた。私が積極的におかしな行動をしたわけじゃないはずだ。なんでこんな理不尽な目に遭うのだろうか。でもあのまま拒否しなかったらどうなっていたのだろう。それまで信じていた世界が崩れていく感覚が確かにあった。
初めて見知らぬ相手から電車内で痴漢されたときも世界が変わってしまったと感じたけれど、作りあげられた関係性の中で知り合いからこんな抑圧を受けるという事実もまた私の世界観を変えた。彼は完全に自分が正しいかのように振る舞っていた。彼を不快な気持ちにさせた私がおかしい。私でさえ、そう思わされそうになった。
泣きながら訴えたが…最高責任者のありえない態度
私でさえそうなのだから、彼に近しい人はなおさらだ。
バイトを辞めるとき、私は何もしなかったわけではない。彼から受けた行為を訴えようとした。
売り子を管理するのがチェッカーだが、そのチェッカーたちのさらに上司として50代ぐらいのおじさんがいた。たしかメーカーの社員だったのだと思う。いつも怖い顔をしていて、売り子ともチェッカーとも打ち解けてはいなかった。私をバイトから追い出そうとしている彼とも、仲よくなかったどころか、むしろ敵対している雰囲気すらあった。
けれど、私が泣きながら話をしたとき、現場で最高責任者であるおじさんは、一切私の話に聞く耳を持たなかった。私の訴えは「チェッカーの恋愛沙汰で売り子がまたゴネている」、そのようなストーリーに当てはめられ、3分で話が終わった。
あんなに自分の無力さを感じたことはない。一応その場に呼び出された彼は、不機嫌な表情をしているだけで、何の釈明もせずに許された。
絶望的なのは、彼らに悪気があったわけではないことだ。彼らはそれがまっとうな仕事だと信じていた。自分たちの職場、明るく元気な売り子たちと責任感あるチェッカーたちの間には色恋沙汰はあってもセクハラなんてあるわけがないのだと。事実を覆い隠した罪悪感もなく、平凡で一般的な50代男性は私の訴えを排除した。
おじさんは自分より20歳以上年下のチェッカーを守ったことを誇らしくさえ思っているように見えた。私を「売り場を変えられたのは報復人事だと思い込んでいる愚かで感情的な若い女」という枠にはめることで、彼とおじさんは初めて団結したのだと思った。
私はバイト先の友人たちに、ほとんど説明することもなく去った。説明すればするほど自分が傷つくことが明らかだったからだ。
「世の中とはこういうもの。私が日頃から周囲とコミュニケーションがとれておらず、相談できる相手もいなかったのが悪い。責任者を信用させる話し方ができなかった私も悪いのだ。学生とはいえ成人しているのだし、そのぐらいの身のこなしをつけておかなければならなかった。社会に出る前にこのような理不尽を知っておけてよかったのではないか」
そのように考えるのは、むしろ楽なことだった。でも私はその安易な考えに逃げ込むことを拒否した。どうしても受け入れられなかった。痛みを痛みのまま、持ち続けた。
※この記事で説明されている歩合などのシステムは、筆者が実際に売り子として働いていた当時(1990年代後半〜2000年代初めの頃)の内容です。