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3日間飲まず食わずで過ごした日本人ビジネスマン

――政府の配給が2週間に1度だけで、しかも配給される物資がそのありさまだとすると、食べ物はどうしたんですか。

高木 最初、僕らは「ロックダウンは5日間」と聞いていたんですよ。だから5日分の食料だけを確保しておいたんですが、最終的にロックダウンは2カ月間に及んだので、当然、食料は全然足りません。「ヤバい、食べ物がない!」ってあせりました。

 そこで、あの手この手を使って食べ物を入手しました。たとえば、あるときマンションの窓から外を見ると、白い防護服を着た医療従事者が座って弁当を食べていたんです。そこで、部屋に居候させていた店の中国人従業員に「あの弁当を売ってもらえるよう交渉してこい」と行かせました。僕は中国語が話せないので。

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――マンション棟の外に出てはいけないはずですが。

高木 生きるか死ぬかの瀬戸際なので、そんなルールを守っている場合じゃなかったです。その医療従事者も事情がわかっているので、彼ら用の弁当を10個ぐらい持ってきてくれました。ただし、親切でやってくれたわけじゃなく、当然のように手を差し出してきました。これは「金を払え」っていう意味です。

 しかも、それがすごいボッタクリ料金なんですよ。中国のコンビニ弁当は1個17元ぐらいなんですが、その医療従事者が要求してきたのは1個50元。10個で500元(日本円で約1万円)です。背に腹は代えられないので言い値を払いましたが……。

――ほかの住民は食料をどうやって調達していたんですか。

高木 外に出られなかったのでわかりませんが、居候させていた中国人従業員の友人たちはツテをたどり、市場価格の3~5倍の値段で食料を手に入れていました。飲み水もないので、水道水を大量に鍋で煮沸消毒し、それをペットボトルに入れて冷蔵庫で冷やして飲んだり。本当にガチのサバイバル生活でした。

――中国政府はゼロコロナ政策のためにロックダウンを実施する一方、市民の食料とかはいっさい考えてくれないんですね。

高木 まったくお構いなし。日本から工場を視察しにきたある日本人ビジネスマンはホテルに戻ることも許されず、2カ月間のロックダウン中、ずっと工場で生活していたそうです。その間、食べ物をどうしていたのかはわかりませんが、ロックダウン解除後にその人に会ったらガリガリにやせ細っていました。