いまだに世界各地で猛威を振るっている新型コロナウイルス。発端となった中国では権威主義的体制の下の人流抑制によっていちはやく「封じ込め」に成功したが、それにより国民の間では民主主義的体制への懐疑さえ生まれているという。
中国情勢に詳しいフリージャーナリスト、高口康太氏の著書『中国「コロナ封じ』の虚実 デジタル監視は14億人を統制できるか』(中央公論新社)では、習近平体制のもと「健康帝国」へと突き進む中国の深層に光を当てる。ここでは同書の一部を抜粋。新型コロナウイルス発生直後の中国で行われた「封じ込め」が成功した知られざる背景に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)
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膨大なイレギュラーケース
湖北省の約5800万人のロックダウン、中国14億人の外出規制――これらを指示することはたやすいが、違反者がいないかを監視し、かつ限りなく発生するイレギュラーケースを処理するにはおびただしい人員が必要となる。
イレギュラーケースの処理に必要な手間は膨大だ。私が話を聞いたある中国人は、2020年3月に滞在していた日本から自宅がある中国の天津市に戻った。海外での新型コロナウイルス感染症の流行拡大を受け、当時の天津市では「2+1」の隔離(編集部注:ホテルなどの集中隔離施設での2週間の隔離とその後1週間の自宅隔離)が必要だった。ただし、自宅が隔離にふさわしい一定の条件を満たしていなければ、3週間まるまる指定ホテルでの隔離が必要となる。
その中国人は帰国前に自宅がある地域の行政組織に連絡したところ、自宅隔離不可との返答だった。しかし、ちゃんとした審査がなされていないのではと不満に思ったため、市政府に通報したところ、当局から2人の職員が派遣されて自宅をチェックし、「トイレが室内になく共用スペースにあるため、厳密な隔離は不可能である」との理由で、改めて自宅隔離不可との回答になったという。
全世界での新型コロナウイルス感染症の流行拡大を受け、世界中から中国人の帰還が相次ぐなかで、たった1人の隔離の確認にこれだけの手間をかけるとは驚くしかない。
ロックダウン中の生活を日記としてつづった『武漢封城日記』によると、市内では食料品やマスク、消毒液が不足したばかりか、塩まで売り切れたという。買い占めている人に、同書の著者・郭昌(グゥオチャン)が理由を聞くと、「1年後まで封鎖が続いたらどうするのか」と言い返されたという。
都市の公共交通はストップされたが、医師や看護師、清掃員、食料品店店員などのエッセンシャルワーカーは出勤しなければならない。通行証を得たボランティアが車で送迎する動きも広がったが、助けを得られずに片道1時間以上もかけての徒歩通勤を余儀なくされた人もいる。
交通の寸断は、武漢市の日本人帰国ミッションでも大きな課題となった。1月29日から2月17日にかけて、計5便のチャーター機が運用され、821人が日本に帰国した。武漢市以外にも住んでいる人がいたが、ロックダウンの交通規制により、自力では武漢市の空港にたどり着くことができない。この難題を解決してくれたのは、武漢市で自動車向けソフトウェア開発企業「武漢光庭信息技術」を経営する朱敦尭(ジュードゥンヤオ)だった。朱は地元政府との交渉を重ねて車両と通行証を確保し、帰国ミッションを実現させている。ありがたい話だが、外交ルートを持っている日本大使館でも武漢市政府との交渉は困難であり、地元の中国人企業家に協力を要請せざるを得なかったところに、ロックダウンの規制がいかに入り組んでいたかがうかがえる。