「コロナの前まではこんな人々がいることをまったく知らなかった」
膨大な人員はどこから動員されたのか。
「どこにこれだけの人がいたのかと驚いた」
そう話すのは、天津市に住む日本人駐在員のYさん(30代、男性)。居住する社区には3つの入口があったが、1つに限定された。その入口では外部からの立ち入りがないか検査され、住民であっても臨時の通行証を持っているかを確認され、体温を測られた。湖北省など外地からの帰還者はいないかなど、社区内部でも頻繁に調査が繰り返されたという。
「もともと入口には不動産管理会社の警備員が立っていたが、それ以外に多くの人が封鎖式管理に協力していた。コロナの前まではこんな人々がいることをまったく知らなかった」(Yさん)
封鎖式管理の実務を担ったのは都市では居民委員会、農村部では村民委員会という基層組織だ。もとは1950年代に整備された組織で、コミュニティ内でのけんか、もめごとを仲裁したり、迷信・邪教の禁止といった政府キャンペーンに協力したりを任務とする中国版町内会であったが、新型コロナウイルス感染症の流行という大災害を機に引っ張り出されてきた。
中国の行政組織を上から順番に並べていくと、省級・市級・県級・郷鎮級となる。このうち郷鎮級に相当するものが都市部では街道弁事処、農村部では郷や鎮である。
正規の行政組織としてはもっとも国民に近いレベルにあるが、それでも管轄する人口は膨大である。深圳市には60の街道弁事処があり、数万から数十万人単位の人口を擁している。サイズ的に見れば、日本の市区町村に匹敵する。2020年2月に深圳を訪問した際、後述する接触追跡アプリの運用がすでに開始されつつあり、その登録にあたっては居住地の街道弁事処を明記する必要があったが、難儀した。というのも、ある地域がどの街道弁事処の管轄下にあるかは住所を見てもわからないのだ。旅行者だけではなく、現地在住の中国人も所属について普段意識することはないため、慌てて検索したという人も多かったようだ。最下層の行政組織とはいえ、これだけ住民との接点が少ない以上、きめ細かな対応を行うことは難しい。
もともと社会主義国である中国では、都市部の行政サービスの主体は単位(ダンウェイ)だった。すべての都市住民は国営企業や集団企業、あるいは政府や大学などの公的機関などの組織に属しており、仕事だけではなく、居住地管理から医療、福祉、教育まであらゆる行政サービスを提供する場となっていた。農村部では人民公社がその役割を担っていた。
しかし、改革開放が始まると、自営業者や新興の民間企業が誕生する。新たな民間企業は社会主義経済時代の単位としての行政サービスを担う機能は持たない。また、農村から都市への移動が制限されていた状況が変わり、出稼ぎ農民を筆頭に登記された戸籍地以外に居住する人が増加していく。こうして社会主義時代の行政サービス・ネットワークは役割を果たせなくなっていった。