文春オンライン

2022/09/25

「生きたまま火葬された」という話題は“根本的な問題”を無視

 まず「生きたまま火葬してしまうことはよくある」という主旨について、もし本当にそんなことがよくあるのであれば、それは火葬場云々よりもまず日本全体の医療を抜本的に見直す必要があるだろう。ようは火葬場よりも、病院をしっかり追求すべきことだ。

 生きていたにもかかわらず、死亡したと誤診しているわけだから、本当ならこれは大問題である。しかもそんなことが「よくある」となれば、当然裁判にもなるだろう。

 そういう意味では、「生きたまま火葬された」という話題は、根本的な「誤診」という問題をあまり考えていないように思える。本当は「誤診」が一番問題なはずなのに、衝撃度の強い「生きたまま火葬」というワードのみにフォーカスされているようだ。

写真はイメージです ©iStock.com

 病院は「死亡診断書」という公的文書を発行する。これはのちに死亡届、火葬許可証を発行するための大事な公的文書だ。

 もし医師が記入を間違えていたとしても、我々一般人が勝手に訂正することはできない重要な書類だ。

 これを記入するための死亡診断は、死の三徴候をもとに診断される。日本においてこの精度は凄まじく、もちろん絶対とは言い切れないが、現場にいた人間としては、「誤診」の可能性を語るなんて、少し恥ずかしさすらも感じる具合だ。

 ぼくは火葬場職員のあと、葬儀屋も経験している。その立場からも1つ言えることがある。

 そもそも人は亡くなると体温を失う。愛する人、家族、友人を見送る際に手をにぎるとものすごく冷たい……という経験はないだろうか?

 ぼくもある。今でも思い出すと胸が押さえつけられるような思いだ。