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≪白河の関を越えたのは甲子園だけじゃない≫福島県沖地震を乗り越え、ボロボロになった醤油蔵が起こした奇跡

2022/10/01
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 大きな地震が11年間で3度というだけでなく、「揺れは回を重ねるごとに酷くなって、今回が一番激しかった」と人々は口をそろえる。度重なる災害に多くの企業は復旧資金が尽きており、山形屋商店も例外ではなかった。

 山形屋商店は醤油に加えて、味噌・麹(こうじ)の醸造販売もしていて、経営を成り立たせていたのはこちらだった。醤油は1リットルのペットボトルが500円もしない。これでは利益が上がらず、味噌・麹の収益で店を維持していた。

 だが、味噌の製造ラインは損傷が激しく、修繕は容易ではなかった。無添加の天然醸造であるため、発酵には夏場の暑さが必要なのに、復旧が間に合うとは思えなかった。

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崩れて入口がふさがれた土蔵の壁。左は味噌用の大豆を蒸かす釜。この修理が最後までかかった(山形屋商店)©葉上太郎

 八方塞がりになった渡辺さんは、「味噌のストックが売り切れる1年後には店を畳むしかない」と考えるようになった。

 そうした苦境にありながらも、醤油の製造は早めに再開できた。

なぜ製造を早めに再開することができたのだろうか

 これには福島県ならではの秘密がある。同県では「福島方式」という醤油醸造法を採ってきたからだ。

 醤油は、蒸した大豆や炒った小麦を混ぜ合わせるなどしてタンクに仕込み、麹菌、酵母、乳酸菌といった微生物の発酵で「生揚(きあ)げ」を造る。これに火入れして製品化するのである。

 だが、小さな蔵では醸造設備の維持や投資が難しい。そこで、零細業者であっても生き残れるよう、生揚げの醸造工程までを共同化することにした。1960年代に福島県醤油醸造協同組合(福島県二本松市)を結成。各醤油蔵が資金を出し合って生揚げの醸造工場を設立した。同工場で製造した生揚げは各蔵が仕入れ、それぞれ火入れしている。

蒸気で火入れタンクの温度を上げる渡辺さん(山形屋商店)©葉上太郎

 同じ生揚げを使うからと言って、同じ味になるわけではない。火入れは醤油の香りを決定づけるので、各蔵独特の「味」に仕上がる。

 こうしたやり方は福島方式と呼ばれ、家族経営が多い醤油蔵が造り続けられる画期的な製造法として、他県に広まっていった。そして今回は災害に強いシステムであることも証明された。組合の醸造工場の震災対策さえ十分であれば、各蔵が被災したとしても、火入れの工程だけ復旧させることで、事業再開できたのだ。

 山形屋商店は福島方式に加わっていたからこそ、醤油製造を再開できたと言っていい。

「店を閉じるなら最後の挑戦になるかもしれない」

 破断した蒸気パイプをつなぎ合わせ、何とか火入れだけはできるようになったのは、地震の発生から約1カ月半後の4月26日。この時に造った醤油が全国醤油品評会に出品した「うすくち」だった。