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「最後になるならば」あえて行なった“冒険”

 渡辺さんによると、多くの蔵では85度を10分間維持するのだそうだ。しかし、この日は87度と2度も引き上げた。温度が高いと醤油の色が濃くなる危険性があるが、「最後になるならば」とあえて冒険をした。

 渡辺さんは「こいくち」では87度を超える火入れ温度で製造する技術を確立していた。これだと火香(ひが)と呼ばれる醤油特有の香ばしさが高まる。その結果、醤油の色が濃くなっても、「こいくち」なら気にしないで済む。一方、「うすくち」は淡い色に仕上げなければならず、高温での火入れは敬遠される。「80度で火入れする蔵もあるほどです」と渡辺さんは言う。

 なのに思い切った。ただし、86度から1度上げるのに7分の時間を掛け、87度に達すると即座に冷やすという工夫をした。

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バルブがどの工程の温度を上げるかが書いてある(山形屋商店)©葉上太郎

「うすくちならではの淡い色合いと、香ばしさをどう生み出すかのせめぎ合いでしたが、満足の行く出来ばえでした」と渡辺さんは語る。

 作業が終わったのは午後9時だった。8時間も掛かったのである。ただ、これで大臣賞が取れるとは、渡辺さん自身も考えていなかった。

 全国醤油品評会の入賞は、清酒の全国新酒鑑評会とは比べ物にならないほど難しい。清酒は今年、826点の出品に対して、205点が金賞に選ばれた。各蔵の自信作が応募されたとはいえ、4分の1が最高賞に選ばれたのである。だが、醤油は270点の出品に対して、大臣賞は5点。50分の1以下の狭き門だ。5点のうち4点は「こいくち」で、「うすくち」での大臣賞は山形屋商店だけだった。醤油には「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」といった種類があるが、「うすくち」での受賞は6年ぶりという快挙だった。

ペットボトルの蓋を一つ一つ手作業で取り付ける渡辺さん(山形屋商店)©葉上太郎

従業員たった1人の家族経営でつかんだ快挙

 6年前に「うすくち」で大臣賞を受賞したのは、その名を知られた関西のトップメーカー「ヒガシマル醤油」。これに匹敵する「うすくち」が、従業員が1人しかいない家族経営の山形屋商店で造られたのは驚くべき事実だ。しかも、相次ぐ災害でボロボロになり、廃業寸前にまで追い詰められていたのである。

 渡辺さんは「今回の受賞は相馬のまちにとって非常に大きな意味があります。今回の地震では多くの人が無気力な状態に陥りました。これまでの復旧・復興への努力が一瞬のうちに無に帰してしまったのです。あまりに理不尽でした。なのに、新型コロナの影響はいつまで続くか分からない。来年には東電が原発の汚染処理水を海洋放出する。風評被害は必至と言われていて、2013年に発生した汚染水漏れ事故のような事態にならなければいいと皆が心配しています。何ら明るい未来が待ち受けているわけではない。閉塞感にさいなまれている相馬のまちにとって、今回の受賞は一筋の光にならないでしょうか」と期待を込める。