原田美枝子が演じたイタリアンレストランのオーナー大城房子も同様だ。沖縄移住者二世でありながら沖縄県人会と距離を置き経済的に成功を収め、最終週では初めて見る沖縄の海に「ただいま」と告げるその複雑で魅力的な人物像には、脚本家である羽原大介が『ちむどんどん FANBOOK』で語るように、丁寧に取材を重ねた沖縄移住者たちの現実、歴史が反映されているのだろう。
元議員がツイッターに批判を投稿する事態に
だが、SNSを見ると、それらのメッセージが十分に伝わってきたとはいいがたい。
8月14日、自民党元議員の礒崎陽輔氏がツイッターに突然ドラマへの批判を投稿した。
「#ちむどんどん 芸能評論は控えていますが、この番組に多くの意見を頂いています。俳優の皆さんは立派に演じられていますが、脚本の論理性が崩壊しています。私自身沖縄振興の関係者として残念であり、既に手後れかもしれませんがNHKは猛省する必要があります。」
SNSで盛り上がるドラマへの批判に応える形になったのだろう。今や政治家たちは保守も革新も、SNSから起きる風を受けて浮上を狙っている。
だが筆者は、『ちむどんどん』の脚本が「論理性が崩壊している」とは思わないし、NHKに「猛省の必要がある」とも思わない。ドラマへの好き嫌いはあるだろうし、演出が肌に合わないこともあるだろう。
一発逆転を夢見ながら失敗を繰り返す竜星涼が演じる兄も、それについつい甘くなってしまう仲間由紀恵演じる母親も、本土の視聴者を心地よいノスタルジーで満たす理想化されたマイノリティではなかったかもしれない。だが『ちむどんどん』の脚本には、「移民の歌」として本土復帰時代の沖縄移住者たちを描きたいという作り手の思いを見ることができた。
それは本土に渡った暢子たちだけではなく、沖縄に残りながら女性の社会進出や自己表現を模索する良子や歌子の描写を見ても同じだ。暢子がイタリアンレストランでイタリア料理の技術に触れ、それを沖縄料理という自分のルーツに還元してまた帰郷するように、地元に残った姉妹たちもまた、沖縄という歴史に翻弄された島を自分たちの目指す未来に移動させようとする。これは移民の歌、未来を求めて移動する人々の物語なのだ。