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 そしたらジャッキーがこっちにやってきて。「どうして泣いてるの? なんで食べないの?」って。「もう僕が払ったからゆっくり食べなさい。日本から来たの?」と、ただのファンでしかない私にすごく優しく話しかけてくれたんです。撮影で疲れていらっしゃるだろうし、しかも足が骨折してるのに、私のところまで歩いてきてくれて。

 もう、その時点でいっぱいいっぱいで。それでもどうにか「今日が誕生日で、あなたに会えるなんて、生きてて良かったです」と伝えたんです。そしたら「ちょっと待っててね」と言ったまま奥に行って、戻ってきたら「ハッピー・バースデー・ショウコ」って紙に書いたものを渡してくれて、ハグしてくれて…。もう神様だーっ!って。最後の最後の瞬間まで笑顔で、ミッキーマウスみたいな感じでした。

 

――すごい展開ですね…!

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中川:しかもその後、日本に帰国してしばらくしたとき。母が当時スナックをやっていて、店に来たお客さんが、たまたまジャッキー・チェン事務所の日本支部の方だったんです。その方が、誰かいい新人がいないか探してると言うと、すかさず母が「うちの娘を!」と出て。

――元々、芸能界に興味があったのですか?

中川:全然なかったです。アニメソングを歌う人にはなりたいとは思ってましたが。

 でも、めちゃくちゃ自己肯定感低いし、人前で歌うとか赤面しちゃうし。ただ、戦闘もののピンクの方にすごく憧れていて、自分も美人になりたいなって。その方を目指してダイエットも頑張ったりはしていて。そのうち、特撮の世界もジャッキー・チェンも、芸能界という場所は一緒だなってフワっと思ったのかな。その縁で、ジャッキー・チェンの事務所に入ることになりました。

 

ジャッキーにも迷惑かけちゃったな、もう終わった。ダメだ。

――ジャッキー・チェンの事務所に入った後は、いかがでしたか?

中川: それが全然順風満帆じゃなくて。お仕事もないし、オーディションも戦隊ものは全部落ちちゃうし。結局ジャッキー・チェンの事務所もクビになっちゃったんですよ。仕事が無さすぎて。香港まで、契約解除のハンコを押しに行くのがすごく悲しかったですね。ジャッキーにも迷惑かけちゃったな。やっぱりもう終わった。ダメだ。みたいな気持ちでした。

 ただ、クビになる前からずっとお仕事がなかったので、『ミスマガジン』というオーディションに、自分で応募していたんです。自分でハガキを書いて投票して(笑)。そしたら『ミス週刊少年マガジン』という賞を頂けました。

 その後、ジャッキーの事務所はクビになったけど、まだミスマガジンの契約も半年弱残っていて。『王様のブランチ』(TBS)で、ミスマガジンの女の子が週替わりでお菓子を習うコーナーとか、他にもまだ若干お仕事があったんです。周りから、もったいないから、高校生のうちは続けた方がいいよって言われて。その後、今の事務所に入ることになりました。