文春オンライン

マイノリティや社会的弱者とは呼べないが…それでも「弱者男性」たちが「男がつらい」と声をあげるべき理由

『男がつらい! - 資本主義社会の「弱者男性」論 -』より #2

2022/10/12
note

弱者男性たちに必要な“意識覚醒”

 他者からの承認を期待することは、それが満たされないと、被害者意識や攻撃性を生んでしまう。

 それならば、他者からの承認を期待するのではなく、もっとアクティヴに、当事者としての自覚を持っていくべきではないか。自分たちをマイノリティや社会的弱者と呼べるとは思わないが、それでも、非正規男性(弱者男性)としての当事者性を自覚していくこと。

 承認から自覚へ。そして責任へ。

ADVERTISEMENT

 弱者男性としてのぼくたちにもまた、そうした意識覚醒が必要なのだ。

 非正規的で周縁的な男性たちは、もしかしたら、男性特権に守られた覇権的な「男らしさ」とは別の価値観──たとえば成果主義や能力主義や優生思想や家父長制などとは別の価値観、すなわちオルタナティヴ(代替的)でラディカル(根源的)な価値観──を見いだしていく、というチャンス=機縁を与えられているかもしれない。

 誰からも愛されず、承認されず、金もなく、無知で無能な、そうした周縁的/非正規的な男性たちが、もしもそれでも幸福に、まっとうに──誰かを恨んだり攻撃したりしようとする衝動に打ち克って──生きられるなら、それはそのままに革命的な実践になりうるのではないか。

 そしてそのようなライフスタイル、いや「生きる姿勢」は、後続する男性たちにとっても小さな光となり、勇気となりうるだろう。

 弱者男性たちの問いはここからはじまる。

マイノリティや社会的弱者とは呼べないが…それでも「弱者男性」たちが「男がつらい」と声をあげるべき理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー