病院で師匠に白状した本音とは
何もありません。
「お前は何がしたいのか」という質問に対して、僕はこう答えたのだった。いや、言い訳させてほしい。我ながら本当に酷い回答だと思う。
ちょうどその日、僕は病院に運ばれた。
教室で羽交い締めにされて、そのままペットボトルのキャップの部分で頭をぶん殴られたのだ。
殴られるのは、別にそこまで珍しくもない。ただ、ペットボトルのキャップは僕が思っていたよりも「彼ら」が思っていたよりも硬かった。額から血が出て、白いシャツが真っ赤になって、そのまま病院に行くことになった。
何針か縫って、お医者さんからは「額の傷の跡は残るだろう」と言われた。
そんな、なんでもない日だった。
白状してしまえば、こんなことは僕にとって本当によくある話だった。小学校も中学校も、こんな風に弄られることも、それが行き過ぎて怪我したり辛いことになることも、よくある話で、どこに行ってもそんなもんなので諦めていた。
どこにいってもいじめられるし、弄られる。それは自分には変えようのないことだし、受け入れるしかないものだった。
僕にとって、人生とは受け入れるもの。自由とか意思とか、そんなものは持っていても仕方のない、意味のないものだった。
そう考えていたからこそ、病院にお見舞いに来た渋谷先生に向かって、僕はこう言ったのだ。
「何もありません」
その時なぜか、僕は泣いていた。
おかしいな、と思った。だって自分はこんな自分であることを受け入れているはずなのだ。それなのに、なぜか目から熱いものがこみ上げてきて、せぐり上げながら、僕は懸命に言葉を続ける。
「何もありません」
今思うと酷い自暴自棄でしかないのだが、僕は師匠にそう言い放ったのだった。
「先生は前に僕に言いましたよね。『お前はどうしたい?』って」
僕は泣くと、ヒンヒンと音が出る。なんとか涙を引っ込めようとするのだが、そうしようとすればするほど涙が出て、ヒンヒンと音が出る。だから多分、師匠は僕の言葉は相当聞き取りにくかったと思う。
それでも、これだけははっきり言ったのだ。
「何もありません」
16年間生きてきた僕は、そんな風に「本心」を初めて、師匠にぶちまけた。
「僕には何もできません。ずっとこうやって、何もできずに、みんなからバカにされて、いじめられて、人から怒られて、叱られて、そうやって生きていくんだと思います。そういう人間なんです」
それは過度に自分の人生を悲観しているわけでも、同情して欲しくて言ったわけでもなかったと思う。
「何やってもトロいし、何やってもダメだし、こんなやついじめたくなるみんなの気持ちもよくわかります。でも僕、変われないし。ずっとこうやって生きていくしかないし」
あの時の言葉は、本当に掛け値なしの本音で、本当にそうとしか思えなかったから、口にしたのだった。
「だから先生、僕には何もありません。無理です。ごめんなさい」
師匠は、何を言うでもなく、ただじっとこちらを見ていた。
「こんな僕でごめんなさい。でも僕は、ずっとこのまま、死んだように生きていきます」