合格難易度の高さから「日本一頭のいい大学」と言われることの多い、東京大学。日曜劇場『ドラゴン桜』の脚本監修者で、累計40万部突破『東大読書』シリーズでも知られる現役東大生作家・西岡壱誠氏は、5年間の猛勉強の末にその難関を突破した。
ここでは、西岡氏が偏差値35の“ド底辺”から合格発表を迎えるまでの実際の体験を綴ったドキュメント・ノベル『それでも僕は東大に合格したかった』(新潮社)より一部を抜粋。西岡氏が“師匠”渋谷先生と出会い、東大を目指すまでのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
西岡の師匠・渋谷先生の「お前は一体、何がしたい?」という言葉の重み
「お前には『意思』がない。お前は一体、何がしたい?」
そう言われたのは確か、中学3年生になって初めての二者面談の時だった。中学2年生でこっぴどく怒られて、でも成績が改善されることもなく中学3年生に上がった僕は、「自由」という言葉を使う新しい担任に、自分の悩みを打ち明けた。
「この先生なら、怒らずに僕の話を聞いてくれるかもしれない」。ほんの少しのそんな期待を胸に、新任の先生に話をしてみたのだ。
そんな僕の期待など知らない渋谷先生は、しかし僕の期待通りに、笑いもせず、怒りもせず、真面目に話を聞いてくれた。
その上で返ってきたのが、「意思がない」という話だったのだ。
「例えば試験でヤマでも張って、2、3個でも出題されそうな単語を暗記すればいい。どんな問題が出るか先生に聞きに行けばいい。本当に『テストでいい点が取りたい』だけなら、いくらでもやりようはある。やり方を知らないわけじゃないはずだ。やろうと思えば、いくらでもできる。それでもやらないのは、お前に『やりたいこと』がないからだ」
確かにそんなものは自分にはない。やりたいことも、したいこともない。
「お前が勉強できないのは、お前の頭が悪いんじゃない。単にお前が、自分の人生を生きていないだけだよ」
そんな僕を見て渋谷先生はそんな風に言った。
「自分が嫌いで、自分には何もできないと思っている。だから、他の人から言われたことをとりあえず形だけコピーして、最低限迷惑はかけないようにしたいなと思っている。お前自身が自分のことを諦めているから、自分に『自由』がない。『お前の意思』がない」
その通りだ。
僕はすべてを諦めていて、なにかをしたいと思う「自由」なんてないと思っている。
このまま高校に上がれないかもしれないけれど、それも仕方ないと思っている。
親や先生から怒られるかもしれないけれど、こんな自分にはお似合いだと思っている。
確かに僕には、何かをする「自由」も、こうなりたいと思う「意思」もなかった。
「だからもう一度聞くぞ。お前は一体何がしたい? あるいは、何をしたくない? それがない状態で勉強しても、お前はずっと今のままだ」