1977年(74分)/ディメンション/4180円(税込)

 旧作邦画には、意外と油断ならないジャンルがある。その一つが児童映画だ。基本的には学校などの公共施設の鑑賞会での上映を想定した、児童の道徳教育用の映画を指す。

 これが、「子供向け」と思って舐めてかかると、実にもったいなかったりする。というのも、普段は社会派映画を作っているような硬派な独立系プロダクションが手掛けていることが多いため、毒の強い内容だったり、映像が重厚だったり。そして何より、かなりクセの強い面々がキャスティングされているのである。

 今回取り上げる『あすも夕やけ』も、そんな一本だ。

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 企画が「親子映画埼玉県連絡会」とクレジットされており、明らかに児童映画なのだが、制作は新藤兼人が率いる近代映画協会で監督は神山征二郎ということもあり、これが一筋縄ではいかない。

 舞台は、まだ豊かな自然も近くに残っている郊外の新興住宅街。そこに暮らす少年たちと、学校に通わない謎めいた孤独な少女・あや子との交流が描かれる。――と書くと、自然の中で展開される何やらほのぼのとした物語を想像するかもしれないが、実は全くそうではないのである。

 この地域には、子供を塾に通わすことのできる比較的裕福な家庭と、そうではない家庭とがあり、子どもたちはそれに合わせて二つのグループを形成していた。あや子は、そんな両グループを巧みに煽り立て、対立させる。

 さまざまな罠を仕掛け、嘘を吹き込み、両陣営の疑心暗鬼を高めていく――。あや子の様は、純朴な見た目に反し、やくざ映画における金子信雄や成田三樹夫を彷彿とさせるものがあった。

 果し合いの場は造成地。強烈な土砂降りの中で肉弾戦が繰り広げられるため、まるで第一次世界大戦の塹壕戦のような迫力あふれる映像になっているのにも驚かされる。

 その一方で小坂明子の伸びやかな歌声をBGMに、大自然の映像美の中を独りで過ごし続けたり――と、煌めく抒情的な映像があや子の孤独を際立たせており、その存在はどこまでも切ない。

 我が子を徹底的に甘やかす母親役の絵沢萠子。余計なことばかり喋りまくる母親役の樹木希林。心優しく素朴な小児科医の花沢徳衛。終盤に重要な役柄で登場する前田吟に佐々木すみ江。短い出演場面でも名優たちが大熱演。それぞれインパクトを残す。

 中でも殿山泰司が強烈だ。あや子の置かれた状況を証言する役割なのだが、その放つ異様なまでの生活感により、いかに彼女の生活環境が過酷かが伝わってきた。

 児童映画は、大人も大人なりに楽しむことができるのだ。