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原稿を書くようになったきっかけ

――ではお二人が、観戦記を書き始めたきっかけについて教えていただけますか。藤井さんは2020年から読売新聞の竜王戦の観戦記を執筆されていますが、これはどういったきっかけだったのでしょうか。

藤井 今の制度は違いますが、私は女流3級制度のときに女流棋士になりました。この3級というのはいわば「仮免」の状態で、2年のうちに規定の成績を上げないとアマチュアに戻ってしまうのですが、1年目にすべての棋戦で負けてしまい……。残り1年で「どうすんだ」という状況で、いろんな人に助けられて女流棋士になることができたんです。

 そのエピソードを知っておられた読売新聞の吉田祐也記者から「夕刊のコラムをぜひ書いていただきたい」と言われたのが、原稿を書くようになったきっかけです。

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――最初は観戦記ではなく、コラムを書かれたと。

藤井 はい。その私の文章を吉田さんが好きって言ってくださって。それでその次の月に東京で姉弟子(西山朋佳女流二冠)との対局だったんですが、そのとき「3人で話したいから、対局が終わったら待っていて」と言われまして。会議室で待っていたら、吉田さんがすごい量の紙の束を持ってやってくるとドン!と机において「君に観戦記をお願いしたい」と言ったんです。

――突然ですね(笑)。

藤井 そうなんです。ただ私は新聞もあまり読んでいない若者だったので、観戦記のこともよく知らないと正直に言ったんです。

 

姉弟子が「私も読みたい!」と援護射撃を始め…

――半ば断り気味に(笑)。

藤井 でも、吉田さんはどうしても書いてもらうと譲らないんです。それで姉弟子の西山朋佳の観戦記を書くという流れになり、姉弟子も「奈々ちゃんが書いてくれるの! 私も読みたい!」って援護射撃を始めまして、それで仕方ないということでやることになりました。

――吉田さんが持ってきた紙の束は何だったんですか?

藤井 その紙束には、観戦記の書き方や譜割のやり方が書いてありました。ただ、それは吉田さんの方法ですよね。具体的にどうやって書けばいいんだろうって思って聞いたら、「自分で考えてください」って急に手の平返したみたいな感じになって(笑)。でも受けてしまったのはしょうがないので、その紙の束を抱えて新幹線の中で読みながら帰りました。

――そうして、西山さんの観戦記を書くことになったんですか。

藤井 それが姉弟子の対局が自分の対局と重なったりして、できなくなりまして……。それで吉田さんから別の観戦記を書きませんかと言われて、話を聞いたら畠山鎮先生(八段)の対局だったんです。私が3級時代に負け続けていたときに、たくさん将棋を教えていただいたかたのなかに、畠山先生がおられたので、これで少しは先生に恩返しできると思って引き受けました。そうしたら、その対戦相手が藤井聡太先生だったんですよ。