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「書くのは苦しいですよ。でも…」将棋のプロである棋士・女流棋士が“観戦記”を書く理由とは

「書くのは苦しいですよ。でも…」将棋のプロである棋士・女流棋士が“観戦記”を書く理由とは

勝又清和七段×藤井奈々女流初段 観戦記者対談 #1

2022/11/11
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29歳のとき、『消えた戦法の謎』を見て依頼が

――すごいですね。注目のカードだったんですね。

藤井 そうなんです。そうして初めて書いたのが、みなさんに注目してもらって、その後も書くようになりました。

――なるほど。勝又さんは産経新聞で棋聖戦の観戦記を長く書かれていますが、観戦記を書くきっかけはどういったことだったのでしょうか。

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勝又 産経新聞は、師匠がよく立ち会いをやっている関係で、担当記者の方が奨励会時代から僕のことを覚えてくださっていました。それで棋士になった1995年に出した『消えた戦法の謎』(毎日コミュニケーションズ/1996年第8回将棋ペンクラブ大賞。著作部門の技術賞を受賞)という本を見て、依頼をしてくださったことがきっかけですね。1996年9月に中村修八段対神谷広志六段を書いたのが最初。29歳のときでした。

――その観戦記を書いたときのこと、覚えておられますか?

勝又 その当時って、棋士の観戦記といえば河口俊彦先生(八段/1936-2015)などベテランの方が多かったので、まだ20代だった私が観戦記者席に座ったらさすがに驚かれました。しかも中村先生と神谷先生って、私が奨励会のときの幹事だったんですよ。

藤井 わー。

勝又 それで「え? 君が観戦記?」って言われましたね(笑)。よく覚えています。

 

今、観戦記を書いている棋士は?

――観戦記を書くきっかけというのは、おおよそ新聞社から声がかかるということなんですね。

勝又 そうですね。棋士の観戦記で今いちばん有名なのは毎日新聞で書いておられる関先生(浩七段)だと思うんですが、昔から文章も構成もうまいと定評があって声がかかったそうですね。

――今、棋士で観戦記を書いている人は何人おられますか?

勝又 えー。関西はどうだっけ。本間先生(博七段)、東先生(和男八段)。

藤井 女流だと村田先生(智穂女流二段)。

勝又 渡辺弥生さん(女流初段)とか女流棋士も増えていますね。

藤井 飯島先生(栄治八段)も竜王戦で書いておられますよね。

勝又 あと高野くん(秀行六段)。このあいだは山本博志くん(四段)も観戦記者デビューしていましたね。

――ということは10人前後。

勝又 増えましたよね。私が始めたころは全然いませんでしたよ。それで私は、観戦記者の田辺忠幸さん(元共同通信記者・その後、フリーの観戦記者に。2008年逝去)から書き方を教わりました。