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「顔面は滅茶滅茶に咬み裂かれ、左手は切断…」人喰いヒグマ事件が“世界で最も多発する土地”の正体

『神々の復讐』 #1

2022/11/13
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 次の事件は10月15日、士別村から北へ約3里(約12キロ)の風連村で起こった。熊狩りのため風連村に赴いた猟師が逆襲され、死亡したのである。この事件は白昼に起きたので目撃者も多く、古老の回顧談がいくつも残されている。そのいくつかを挙げてみよう。

「その時下多寄で飲食店をやっていた小林茂太郎という勇敢な男が、熊の前に回って今やまさに鉄砲の引きがねを引こうとした瞬間、猛り立った大熊はウオーッと咆哮するや猛然と小林に飛び掛かり前足で掻い込んでしまった。ソレッと打ち掛かったが下手に打てば小林を打つ。逡巡しているうちに、毒爪は容赦なく体中に突き立てられた」――『拓北の偉丈夫 近藤豊吉』石戸谷勇吉、故代議士近藤豊吉胸像建設会、昭和13年

「小林は駅前の運送屋に運ばれ、名寄と士別から医者が呼ばれた。小林の妻は2キロ以上もある家からハダシで駆け付け、その姿はまるで妖女のようであった。小林は妻に「子供は猟師にしてくれるな」と言って息絶えたという(熊談義(11)上牧芳堂)」――『銀葉』79号より要約

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アイヌ猟師2名が食い殺される

 さらに同月下旬には、天塩川上流の山中でアイヌ猟師が喰い殺される事件が、立て続けに2件起きる。

「十勝国河東郡音更村アイヌ山田勘之助(30)は、先頃より熊猟のため天塩の山川を跋渉し、大小の熊8頭を獲しが、さらに15、6日頃、名寄を距る2里余の深山にて巨熊に出会い、見るも無惨の死を遂げたりと」――『小樽新聞』明治41年10月22日
 
「旭川町近文三線二十四号居住のアイヌ、川村フウタルッ(32)と同人弟、荒井テッヂナイ(31)の両人は、去月27日午前7時頃より熊狩のため天塩川の上流より名寄方面の山中に入り、

(中略)熊笹の中より巨熊1頭現れテッヂナイに飛かかりたれば、同人は銃を以て1発の下に射止め、なお奥深く分け入りしに兄フウタルッ所有銃が5、60間を隔てたるケ所に捨てあるより、

(中略)名寄士別村上士別御料林オタップ山のイシヤ沢の頂にて、ようやく兄の死体を発見したるが、見れば余程格闘せしものと見え、頭部は微塵に砕かれ内臓露出し、両手足のごときも散々咬まれ無惨の最期を遂げおり」――『小樽新聞』明治41年11月10日

 記事中の「フウタルッ」は、アイヌの伝統芸能で知られる砂沢クラの父親クウタルである。彼女の自伝『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』(福武文庫)に、クウタルが熊に襲われて死亡した経緯が詳細に描かれている。また『芦別夜話』(芦別市、昭和38年)にも、ほぼ同様の挿話が語られているが、注目すべきは次の記述である。

「腹をさいて見るとその中から3、4発の弾を見つけ出すことも出来た。このことから考えると相当に人を食べ、又人にいじめられた熊であろうと云う(「29話 人を食べた熊」、手塩)」――『芦別夜話』