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19歳少年が「ほぼすべてを喰い尽くされた」状態で…砂金採りに沸く北海道民を襲った「凶悪熊」の超ザンコク

『神々の復讐』 #2

2022/11/13

 明治30年代、ゴールドラッシュに沸く北海道……一攫千金を狙い、砂金採りに沸く人たちも、ヒグマの標的の例外ではなかった。

 ノンフィクション作家・中山茂大氏の新刊『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』より一部抜粋。19歳少年が「ほぼすべてを喰い尽くされた」恐るべき事件を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

明治30年代、ゴールドラッシュに沸く北海道。そこで起きた「稀代の凶悪熊」による事件を紹介する ©getty

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100億円の金塊に群がった人々

 明治34年3月発行の『殖民公報 第一号』には次のような記事がある。

「北見国においては明治30年、始めて砂金の存在せるを発見せられたるが、同国枝幸郡の如きは全道第一の砂金産地となり、日本のコロンダイクとまで言いはやされ、はなはだ盛況を呈せり」――明治34年

「コロンダイク」というのは、カナダ北西部クロンダイク地方のことで、明治29年に、世界中の山師が一攫千金を夢見て極北の地に殺到した「アラスカ・ゴールドラッシュ」の震源地となった場所である。奇しくも同じ時期に、アラスカと日本で、空前の「黄金狂」が発生していたのであった。

 当時「地の果て」であったオホーツクの寒村は、にわかに活気づき、人煙希なる頓別川、幌別川の上流には、数千軒の掘っ立て小屋がひしめきあい、料理屋、一杯飲み屋、女郎屋、床屋、風呂屋までもが建ち並んだ。

 この頃の砂金場を視察した道庁職員の談話が残されている。

「とにかく鰊以上の大景気ですよ。目下、採取に入り込んでいるのは、およそ3000~4000人だそうです。枝幸地方の労働者は老若男女問わず、家を挙げて砂金場に向かっています。神主や僧侶もいて、漁夫なんかは船が着くたびに100人ずつ、続々山に入ってます。ペイチャン川には1000~2000人くらい入り込んでいるようで、川岸には数え切れないほどの小屋があり、ひとつに5、6人が住んでいます」――『枝幸町史 上巻』昭和42年より要約

 地元紙も次のように報じている。

「昨年、北見国頓別川で砂金発見の報が伝わりて以来、本道はもちろん内地各府県に至るまで響応雲集して、採収のため枝幸地方に入り込みたる者は無慮1万数千人の多きにおよび、蟻の甘きに寄りつき、カラスの腐屍に集まるごとく、その遺利を拾わんがために競争喧噪する有様は筆舌の尽くすところにあらず(「枝幸砂金採収の実況(一)」吉成二囚報)」――『北海道毎日新聞』明治32年8月11日

 冒頭の『殖民公報』によれば、北見地方の産金量は、明治31年に33匁(123.75グラム)に過ぎなかったのが、明治32年には、104貫257匁(390.96キログラム)にも達している。明治34年9月発行の「第四号」には、明治33年における1人あたりの産金量も詳述されていて、「(北見国全体での)採取高は281貫646匁[約1056キログラム]。これを1年間の延べ採取人員72万5402人に割り当てれば、1人あたり1日に3匁9分[約15グラム]を得る割合である」という。

 現在の金の相場が概ね「1グラム=8400円弱」なので、大ざっぱに言えば日当12万5000円である。