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たまたま空いた「木曜日8時」の枠…動いたプロデューサーたち

 しかしその1年後の’90年、フジテレビが木曜日の夜8時に放送を予定していたドラマ企画がたまたま頓挫(ドラマ枠そのものがなくなる可能性もあったとか)。『奇妙な出来事』の石原隆プロデューサーは好機到来とばかりに、『奇妙な出来事』のメイン演出家(後に『世にも奇妙な物語』のプロデューサーに)だった小椋久雄とともに、『奇妙な出来事』を「木曜夜8時」というゴールデンタイム用に手直しした『世にも奇妙な物語』を短期間で企画、放送にこぎ着けた。

 それ以来じつに32年。11月12日には夜9時より最新作『世にも奇妙な物語’22 秋の特別編』が放送されるに至る。「ガラモン・ソング」と言われるあのオープニング・テーマも一度聞いたら耳にこびり付いて離れない。ちなみに、蓜島邦明による名曲中の名曲だが、この“ガラモン”の由来はまさに『ウルトラQ』に登場する名怪獣・ガラモンからだ。

『踊る大捜査線』に『古畑任三郎』…90年代フジテレビを支えた番組が“巣立っていく”

 筆者がテレビ誌記者として働くようになった’92年頃はもう『世にも奇妙』はすっかり市民権を得ており、どの記者も好意的に本作に向き合っていた。

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 定番番組の常として、特に大きな記者会見が行われることもなく(SMAP編や人気マンガ家かき下ろし原作編、人気作家競演編等の大型企画ものは別)、何か新しい趣向が入るたびに、石原プロデューサーが我々のいる記者席に出向き、内容や展開のご説明をじきじきにされていた。

 石原Pは他の作品でもそうで、『振り返れば奴がいる』(’93年)や『古畑任三郎』(’94年)でも自ら記者たちに、時にユーモアを交えながら、丁寧にご説明され、記者たちの人気も高かった。かく言う筆者も当時、石原Pからのレクチャーは取材仕事の楽しみのひとつだった。

 個人的な印象では、石原Pは“新人クリエイターの発掘と養成がうまい方”だったが、その後のご活躍ぶりを散見するに、それは当たっていたようだ。

 第1シリーズと呼ばれる『世にも奇妙な物語』第1作には、すでに演出家陣に落合正幸、本広克行、星護、鈴木雅之、飯田譲治、そして先の小椋久雄ら、脚本陣には野島伸司、北川悦吏子、君塚良一、三谷幸喜、戸田山雅司らの名が並ぶ。

 ここであがった彼ら彼女らの代表作を列挙すると、演出陣では本広克行が『踊る大捜査線』シリーズ、鈴木雅之は『ショムニ』シリーズ(’98~’13年)、星護は『警部補・古畑任三郎』(’94年)などを創出。

三谷幸喜 ©文藝春秋

 脚本陣も、野島伸司は『高校教師』(’93年)に『ひとつ屋根の下』(’93年)、君塚良一は『踊る大捜査線』シリーズ(’97~’12年)、北川悦吏子は『ロングバケーション』(’96年)、戸田山雅司は『科捜研の女』シリーズ(’01年~)など。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送中の三谷幸喜は説明不要だろう。ある意味’90年代~2000年代をリードするクリエイターたちの登竜門でもあった。