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 これも1話完結のショート・ドラマだからこそあり得るお話で、新人では連続ドラマの主演を張ることはよほどの事がない限りできない。ここで“おっ、この役者いいね”と視聴者や映画・ドラマの制作者たちの目に留まり、フジテレビを筆頭に日テレやTBS等各局のドラマに抜擢されて行くケースも多々あった。つまりは新人・若手の“登竜門”にもなったわけだ。

 もっとも、先に挙げた中でいえば、1990年4月放送の記念すべき第1回「恐怖の手触り」に主演した中山美穂はその時点でトップスター。歌にドラマ(『ママはアイドル!』[’87年]や『君の瞳に恋してる!』[’89年]等)に大活躍しており、逆にオムニバスドラマの1話の主演を務めることの方が異色だった。“あの時はスケジュールもなかったので、確か2日ぐらいで撮り切ってしまいました”と振り返る。

 ただ、時が流れ2017年、27年ぶりに『世にも奇妙な物語 ’17 秋の特別編』に出演した際、「フリースタイル母ちゃん」でラッパー名人になる主婦役を演じ、中山は“ラッパー初挑戦でとっても難しかった”と語ったが、“いつもとは違う役を演じられる”と、その独特な現場の空気感について語っている。『世にも奇妙』は古巣へ戻ったような感覚だったという。

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 また、織田裕二は、最初のハマり役のカンチこと永尾完治役を演じる約1年前に『世にも奇妙』に出演。屈指のトラウマ回と言われる「ロッカー」で、なんと強盗殺人犯役を演じた。

織田裕二(2000年撮影) ©文藝春秋

『東京ラブストーリー』(’91年)で大ブレイクする前の織田の初々しい演技も貴重だが、織田自身も後年、“ひょっとしたら、ドラマの面白さ、お芝居の楽しさを最初に知ったのはこの「ロッカー(世にも奇妙な物語)」だったかもしれません”と述懐。主演俳優にもそれぞれの『世にも奇妙な物語』にまつわるドラマがあることも面白い。

第3シリーズで訪れた「転機」

 そうしてスタートした『世にも奇妙な物語』は、当初こそ平均視聴率が10%そこそこだったが、約半年放送後の終了間際には20%強に到達。

「正直、当初はこんなに続くと思いませんでした。スタート当時は4人の編成担当がいて、自分は『オーソン・ウェルズ劇場』(’73年)や『ヒッチコック劇場』が好きだったんですけど、他の3人にもめいめい好きなジャンルがあって。たくさんバリエーションが生まれたことが、視聴者に飽きられずに続けられた要因かもしれません」

 石原Pはそう当時を振り返る。この作戦は見事に当たった。高視聴率を弾き出した結果、“○○の特別編”というスペシャル枠での継続放送を確立。長寿化に成功し、現在に至る。

 1年後の’91年には第2シリーズがスタート。こちらは平均20%強という視聴率を維持し、全117話に及ぶロング・ラン放送となった。特別編を挟みつつ、’92年に第3シリーズが始まる。しかし、ここで「転機」が訪れる。