人間社会に出るきっかけは?
学生時代にもさまざまなサークルや団体に所属し、多忙な日々を送る。演芸方面では関東学生エンターテイナー連盟という団体に所属し、学園祭やコンパなどに呼ばれては芸を披露して場を盛り上げた。ちょうど大学生のコンパ芸がブームだったころで、テレビにも何度も出演する。その一方で、ある劇団の俳優養成所のコースを最短の2年で修了して、劇団の専属俳優となった。
ただ、コンパ芸は一過性のブームに終わり、俳優業もまるで仕事が来ず、いずれも袋小路に入ってしまって断念する。そのなかで人間社会に出るきっかけをつかんだのが音楽だった。
世仮の高校時代よりバンド活動を始めた閣下は、大学入学後は早稲田フォークソングクラブ(WFS)に入部する。当初は、当時流行っていたアリスやサザンオールスターズなどニューミュージック(いまでいうJ-POP)をやりたかったが、そういった音楽を一緒にやってくれる人は周囲にいなかった。結局、同級生と組んだ最初のバンドで、成り行きでハードロックをやることになる。そのバンドの解散後、1982年12月に、先輩のダミアン浜田陛下(当時は殿下)から声をかけられ、聖飢魔Ⅱの母体となるバンドが結成される。
メンバーの脱退、そして「地球デビュー」
デーモン閣下ら構成員(メンバー)は、ダミアン殿下によって真の姿である悪魔に覚醒させられた。バンド名が「聖飢魔Ⅱ」と決まったのは翌83年の春で、6月にはアマチュアバンドのコンテストの予選に参加する。このとき、演奏後に審査員から参加した目的を訊かれて「決まっておる、世界征服だ!」と答えるなど、閣下による“デーモン辻説法”が初めて披露された。もっとも、審査員からは、このような形態のバンドはプロでは絶対に通用しないと断言され、さらには演奏が雑だと酷評された。その悔しさから皆で猛特訓を始め、並行して信者(ファン)も着々と増えていく。
聖飢魔Ⅱは結成から1年後、創始者であるダミアン殿下の大学卒業にともない一旦解散するも、以前応募したコンテストの1次審査に合格したとの通知を受け、急遽再集結して出場、決勝まで進む。これと前後してCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)からデビューの話を持ちかけられた。殿下は悩んだ末に、魔界に戻って教職に就くことを決めて脱退したが、聖飢魔Ⅱはデーモン閣下を中心に存続され、1985年9月、第一大教典(1stアルバム)『聖飢魔Ⅱ~悪魔が来たりてヘヴィメタる』で地球デビューを果たす。