新たな道に進むべく映画について一から勉強しようと、2002年には米ロサンゼルスに居を移した。レギュラーの仕事も降板しての渡米であったが、唯一、ミュージカル『シンデレラストーリー』(鴻上尚史作)だけは閣下の出演を前提に脚本が書かれていたためキャンセルできなかった。しかたがなく、この舞台の日程のあいだは日本に戻る。
3役も演じる大変な舞台で、閣下はただただ役者に徹した。ところが終演した途端、思いもよらぬ達成感を抱き、エンタテインメントは思いきり楽しければいいと実感する。このおかげでデーモンとして活動を継続すると決め、曲づくりでも、《人を楽しませることに第一義を置くのもいいじゃないか、と思えた。楽曲に説教臭いメッセージを入れることを避けるようになった。問題提起的な楽曲を作っても、リスナーからのリアクションは求めなくなった》という(『週刊朝日』2019年10月25日号)。閣下はこれを“武装解除”と呼んだ。
相撲協会に出し続けてきた「嘆願書」
デーモン閣下は大の相撲ファンとしても知られる。もともと世仮の幼少期、友達とよく相撲をとっており、勝つためにテレビの相撲中継を見て研究するようになったのが始まりだという。高校時代には長い通学時間を利用して相撲の本ばかり読みふけった。この時期に仕入れた相撲の知識がのちのち生きることになる。
80年代より相撲雑誌にエッセイを連載し、自分が桝席で観戦してテレビに映れば人々から注目され、観客動員にもつながるはずだと、相撲協会に嘆願書を出し続けてもきたが、なかなかOKは出なかった。それが後年、相撲人気が少し落ち始めたころ、国技館内だけで放送される相撲協会主催のFMラジオのゲストに呼ばれた。出演時も悪魔の姿でいいという。そこで国技館に赴いたところ、当時の北の湖理事長直々に「きょうはよろしくお願いします」と挨拶された。のちの相撲中継へのゲスト出演は、閣下いわく《この話を聞いたNHKが「じゃあ、もういいんだ」ということで解禁となった》ということらしい(『週刊ポスト』2009年3月6日号)。
相撲中継への出演はインパクト大で、いまでは閣下を相撲評論家と思っている人も少なくないようだ。もちろん、本業の音楽でも、総合的なエンタテインメントを目指して新たな挑戦を続けている。
ソロ歌手として女性ボーカリストの名曲をカバーしたアルバム『GIRL'S ROCK』(2007年)をヒットさせたほか、聖飢魔Ⅱ時代より日本の伝統芸能との共作活動を展開し、2000年からは尺八奏者の三橋貴風と組んで純邦楽器と朗読劇の新たなる可能性を追求する「邦楽維新Collaboration」シリーズの公演を20年以上にわたり主催している。閣下に言わせると、指揮者のいない純邦楽器の合奏も、相撲の間合いも、互いの「気」や「呼吸」を合わせる点で同じであり、これこそが日本文化の肝であるという(『學鐙』2013年秋号)。