梨泰院惨事が起きた翌日、路地の坂にピンク色のマットが敷かれていた。ちょうど真ん中あたりだろうか。
路地にある雑貨店店主ナム・インソクさん(80歳)が敷いたもので、しばらくするとナムさんはその上で供物を捧げてひざまずき、頭をマットに押しつけるようにして深いお辞儀を2回、繰り返した。韓国では生者へは1度、故人には2回お辞儀するのが慣習だ。
近くにいた警察官が止めに入ったが、結局、警察官もナムさんの背中をさすりながら肩を落とした。この様子は、韓国のテレビ局MBCのノンフィクション番組『PD手帳』で取り上げられ、SNSであっという間に広がった。
カメラに捉えられていたことをナムさんは知らなかったと言う。
「知り合いから画像が送られてきて初めて知りました。
何かしてあげたくとも何もしてあげられない。苦しくてね。せめてごはんを食べさせないと、と思って、鱈のスープを煮て、ごはんや梨と一緒に供養の気持ちを込めたんです」
「今も『助けて』という声が耳から離れなくて」…
あの日もナムさんは店にいた。
「夜7時頃にはレストランに入ろうという人たちが坂の下まで列をなしていて店の前は人で塞がれました。ハロウィンの時はとにかく人が多い。でも、コロナ禍で2年間制限されていたでしょ。だから、今年はずいぶんと人が多いなあと思って心配になって、店の入り口から大きな声で『押さないように、押さないように。ゆっくり歩きなさい』と何度か叫びました。
その後、奥で作業をしていたら、女性ふたりが倒れるように店に入ってきて。服には土埃がついていて、裸足だったんです。何があったのか、とりあえず落ち着かせようと思ってティッシュや水などを出していたら、『助けて』と悲鳴が聞こえて。ケンカでも起きたのかと思って外に出てみたら、人が重なっていました……」
ナムさんも重なる人を取り除こうとしたがびくともしない。消防士や警察官がやって来て、人のかたまりがほどけた後、ナムさんは座り込んでいる人に声をかけ、水を配り、明け方まで散らばっていた靴やかばんなどを拾い集めたという。
「今でも信じられないんです。あの路地であれだけ多くの人が亡くなったことが……。今も『助けて』という声が耳から離れなくて、眠れません。申し訳なくてね……」
梨泰院惨事から2週間が経ち、近くの店も営業を再開し始めている。再開した店の店主は、「今でもどうして防げなかったのかと思って苦しいし、申し訳なく思っています。一銭でも稼ごうというのかと心ないことを言う人もいますが、生きる者は生きなきゃいけませんから」とため息をついた。