そして、この二つを媒介するのが「キャラ」です。
キャラ化とスクールカースト
「キャラ」とはもはや日常語なので、いまさら定義や解説などは野暮な気もしますが、私はかつて『キャラクター精神分析』(ちくま文庫、2014年)という著作で、いわば究極のキャラの定義をしておいた経緯があり、それについて少し述べておきたいと思います。
キャラとは何か。それは、「それ自身と同一であり、それ自体を再帰的に指し示す記号」のことです。これは、生徒のキャラから芸能人のキャラ、あるいはアニメや漫画のキャラという多種多様なキャラのありようを串刺しにすることができる定義です。その意味で「究極」と考えています。詳細はぜひ拙著をお読みください。
これだけではわかりにくいでしょうから、もう少し嚙み砕いて説明します。キャラとは、ある個人における一つの特徴を戯画的に誇張した記号のことであり、いったんキャラとして認識された個人は、以後はずっと「キャラとしての同一性」を獲得する/させられることになります。先述した通り、もともとは漫画業界やお笑い業界の言葉だったものが、90年代頃から若者の間で広く用いられるようになり、もはや流行語の域を超えて一般語として定着した言葉なのです。
対人評価のほとんどが「コミュ力」で決まる
いわゆるスクールカーストの成立には、「キャラ」が重要な役割を果たしています。コミュ力が高い陽キャ、モテキャラは、同水準のコミュ力を持つキャラ同士でグループを形成し、これがカースト上位層となります。一方、コミュ力が低い「陰キャ」「非モテキャラ」「いじられキャラ」は、問答無用にカースト下位に位置づけられます。つまり、クラスにおいて個人のキャラの設定と、カースト上の位置づけとは、ほとんど同時に決定されるのです。そこには決定の主体が存在しません。両者を決めるのはあくまでもクラスの「空気」で、だからこそ、誰も決定に逆らえないのです。空気には反論も抗議もできませんからね。
こうしたカースト認定の決まり方について、森口朗氏は次のように述べています。
「子ども達は、中学や高校に入学した際やクラス分けがあった際に、各人のコミュニケーション能力、運動能力、容姿等を測りながら、最初の1~2ヶ月は自分のクラスでのポジションを探ります。
この時に高いポジション取りに成功した者は、1年間『いじめ』被害に遭うリスクから免れます。逆に低いポジションしか獲得できなかった者は、ハイリスクな1年を過ごすことを余儀なくされます」(『いじめの構造』新潮新書、2007年)
みてきた通り、現代の学校空間では、対人評価のほとんどが「コミュ力」で決まります。