1980年(114分)/松竹/3080円(税込)

 一九五〇年代から六〇年代の量産時代に活躍した監督たちに共通することではあるが――野村芳太郎ほど多岐にわたるジャンルを手掛けた人はいないのではないだろうか。

 前回の『疑惑』や『張込み』『ゼロの焦点』『砂の器』といった松本清張ミステリーで最も知られているが、他にも、歌謡映画(『黄色いさくらんぼ』『昭和枯れすすき』)、メロドラマ(『あの橋の畔(たもと)で』)、戦争映画(『拝啓天皇陛下様』)、時代劇(『五瓣の椿』)、さらにコント55号やハナ肇の喜劇映画――と、片っ端から撮っているのだ。

 そうしたバラエティに富み過ぎるフィルモグラフィの持ち主だが、多くの作品に共通する点がある。それは、日常的リアリズムが尊ばれる松竹で珍しく、ハッタリと言える派手な演出を加えて様々な空間を劇的に誇張し、非日常的な娯楽性を高めていることだ。

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 たとえば、『影の車』での、精神的に追い詰められた主人公の前に現れる、画面いっぱいの少年の顔面。『八つ墓村』での、犯人と気づかれたヒロインが鍾乳洞で主人公を追い立てる際の、怨霊じみたメイク。こうした極端ともいえる劇的表現によって、トラウマになるような強いインパクトを与えてきた。

 今回取り上げる『震える舌』は、その最たるところだ。

 破傷風に罹った少女と、彼女を必死に支える両親(渡瀬恒彦、十朱幸代)の物語――と書くと、ハートウォーミングな闘病モノと思われるかもしれないが、野村芳太郎の手にかかると、そうでなくなる。

 序盤は、病により徐々に体調を崩して苦しむ少女と、その治療のために懸命な両親と医師たち(宇野重吉、中野良子)――という穏当な形で進められる。だが、少女の病状が悪化するにつれ、描き方が大きく変わっていくことに。

 それは、破傷風の症状である痙攣がひどくなってから始まる。少女は痙攣で何度も舌を噛んでは、口の周りが血まみれになっていた。悲鳴を上げ続け、苦しみもだえる少女。舌を噛ませないようにするため、血まみれの口の中に器具を差し込んで乳歯を次々と抜く医師。冷たく薄暗い病室で繰り広げられるその様は恐怖すら感じさせ、『エクソシスト』の除霊シーンのよう。

 音の使い方も印象的だ。悲鳴やうめき声、呼吸器から漏れる空気音――といった生命の音。ベッドの軋む音や心電図の音、医療器具の音――といった無機的な音。二種類の対極的な音が、集中治療室の中でせめぎ合う。まるでそれは生と死が激しく闘争しているようにも聞こえ、大半が狭い空間のみで展開されるにもかかわらず、絶え間ない緊張感を観る側に与えていた。