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「一人だけ石の硬い上がり框で夕飯を…」

「数年前のことですが、私の一つ年上で、三味線や唄を担当する“地方さん”として入ってきた先輩は、年を取っているからその分稼ぎが悪いだろうという謎の理由で、一人だけお草履を脱ぐ石の硬い上がり框のようなところで夕飯食べさせられていたり、みんながカレーでも一人だけお茶漬け食べさせられたりしていました。

 昔のお姉さん達は食べ物の内容で序列をつけられていたそうなので、その名残だと思います。でもこんなことがあっていいのだろうかと疑問に思いました」

 厳しい上下関係の世界。10代で実家を離れた少女たちにとって「家」のような存在であるはずの置屋だが、食事中であっても気を緩めることは許されない。時代が違えば「ハングリー精神を育てる」といった理由で正当化できたかもしれないが、令和の時代にあってはやりすぎだと感じる人の方が多いだろう。

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 桐貴さんも「花街には共通の食事のルールが存在します」と語る。

舞妓だった頃の桐貴さん(桐貴さん提供)

「お客さんやお母さん、お姉さんなど目上の人が食べるまで待つのはもちろんですが、目上の人から『あんた食べよしや』と3回言われるまでは、決して食事に手を付けてはいけません。

 下っ端の舞妓は最後に食べ始めるわけですが、お母さんやお姉さんよりも早く食べ終わらないと怒られてしまうので、5~10分でがーっとかっこむ。“舞妓の早食い”という言葉があるくらい、自然と早食いが身についてしまうんです」

食費問題に頭を悩ませる毎日

 食事に制約の多い舞妓にとって、朝ごはんや昼ごはんはある程度、自分で好きなものを食べられるチャンスだ。しかしそこで彼女たちが頭を悩ませるのは食費問題だった。

舞妓だった頃に客から受け取った名刺。政治家や大企業の社長の名前が並ぶ(桐貴さん提供)

「置屋から毎月手渡される月数万円のお小遣いの中から毎日の食事代を捻出するのはきついものがありました。私のいた置屋では朝ごはんは常備してあるパンを焼くか、食べないか。昼ごはんはコンビニや外食でした。花街では、舞妓は髪を結っているときはコンビニに出入りすることを禁じられていましたが、みんなこっそり行ったり、お姉さんにお願いして買ってきてもらったりしていましたね。

 食事代を節約したくても、『手が荒れて商品が傷つく』という理由から自炊は禁じられているのでできない。同じお小遣いの中から、白塗りなどのお化粧品や生理用品などの必需品も買わなくてはならないので、やりくりには常に頭を悩ませていました。空腹をこらえて夕食を待つことも多々ありました」(祇園町の元舞妓Bさん)