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上沼恵美子にとっての、「主婦タレント」という肩書きの意味

「私も『浪花のヤング主婦代表』は嫌だったんですけど、もう記号みたいに聞いてたんで、いまさら『ヤングちゃうやろ』すら思わなかった。(中略)まあ、肩書きなんてなんでもいいんです」

「でも主婦は楽しいですよ。こんな面白いことないです。娘から女になって、それで嫁になって、母になって。(中略)名刺を刷るとしたらその肩書きはどんどん変わる。それって楽しくないですか、バラエティに富んでて」

 話芸さえあればどんなことでもネタになる。彼女にとってはそれが、家事、子育て、嫁姑、夫婦関係だっただけ。「女は面白くない」「主婦はもっと面白くない」と思われていた時代に甘受した主婦タレントという肩書きも、絶対に面白い自分を世間に認めさせる徒手空拳のようなものに思えてくる。この人にとって「嫁」「妻」「母」「主婦」という属性は、人生ゲームを面白くするちょっとした仕掛けに過ぎないのだろう。

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 そして上沼にとって人生ゲームのボードは「社会」ではなくおそらく「テレビ」。テレビの向こうの人に自分が「面白い」と知らしめることが、彼女にとっての「成功」であり「上がり」だったのではないか。

©釜谷洋史/文藝春秋

「“ポテトサラダのおっちゃん”おりましたやんか。『ポテトサラダぐらい作ったれや』かなんか言うて、若い奧さんが腹立ったというの。(中略)ポテトサラダを作るのがいかにしんどいかがわからない人間がね、偉そうに言うてるわけですよ」

 だからこそ、視聴者が何を求めているか、何を自分に言ってほしいかへの嗅覚は動物のように研ぎ澄まされる。上沼はその嗅覚を最も大切にして、思想や理想など主体的な感覚は後回しにしているようにも感じた。

 自分が何を信じ、何を考えるかより、視聴者が望む意見を最も面白く表現することが、彼女の第一義。彼女の生き方をフェミニズムという社会的な尺で測ることが、なんとなくむなしい作業のように感じてしまうのはそのためだ。

インタビュー中、唯一素顔が垣間見えた瞬間

 インタビュー後半になり、私は恐る恐る、上沼と私を隔てる線を踏んでみる。取材前に編集者と共に上沼の過去のインタビューにあたったが、そこでほとんど語られていなかったのが意外にも「お笑い」に関するトピックスだった。

 吉本芸人による闇営業が問題になっていた時に、番組で渦中の宮迫博之を擁護しようとする芸人仲間に対し上沼が言い放った「あんたらいつからスポーツマンになったん?」「誰も頭抜けようとしない。スクラム組んで『おもろないようにしような』ってやってる」という言葉の真意を私は聞きたかった。

 その時、このインタビューで唯一彼女は自分のルールを破ったように思う。表情が変わった。上沼の内面に踏み込む音がした。