かの松本清張の名作短編『張込み』の中で、ほんの少しだけ小郡駅が触れられている。曰く、
「小郡という寂しい駅で下岡は降りた。彼はここで支線に乗り換えて、別の小さい町に行くのだった」
『張込み』は1950年代の作品だから、少なくともその当時の小郡駅は“寂しい”と表現されるのがふさわしい駅だったというわけだ。1975年に新幹線が乗り入れて、ようやく県都の玄関口らしさを整えていった。その時点では、山口市ではなく小郡町の駅であった。
ともあれ、こうした事情も合わせて考えれば、山口駅という小さな駅が、山口県の県都のターミナルといって差し支えない。県庁舎も山口駅が最寄りだし、なにより2003年に新山口駅が“誕生”するまでは、堂々と「山口」を名乗っていたのはこの駅だけだ。だから、地味だろうがなんだろうが、山口駅は押しも押されぬターミナル。他の都道府県と比べるまでもなく地味なターミナルでも、ターミナルはターミナルなのだ。
しかし、このなんとも不思議な地味なターミナルは、いったいどうして生まれたのだろうか。普通なら、県都の玄関口は県下随一の繁栄を謳歌してもいいはずなのに、山口駅にはそうした歴史がほとんどない。そのナゾを解き明かすべく、山口駅を訪れた。
“新”のつかない「山口」には何がある?
山口駅へは、しつこいようだが新幹線の新山口駅から山口線に乗り換える。普通列車で30分弱。1日に3本だけ走っている特急「スーパーおき」ならば、15分もかからない。
その短いローカル線の旅は、ほとんどがほのぼのとした風景の中を走る。椹野川に沿って谷間を登ってゆく形だ。ほどなく湯田温泉という温泉街が見えてきて、これが山口の市街地の門のような役割を持つ。そして山口駅に着く。
山口駅は、ローカル線の中では比較的規模が大きい。といっても、2面3線で西側の1番のりばは改札口に面しているという、昔ながらの構造だ。駅の東側には椹野川が流れているので出入り口はなく、西側に向かって観光案内所も入るような大きな駅舎が建っている。
駅舎の外に出てみると…
さらに駅舎の外に出てみると、駅舎に負けないくらいの大きな駅前広場があって、客待ちのタクシーも何台か。瀬戸内沿いの町・防府までのバスも駅前から発着しているようだ。
広場の先には線路と並行におおむね南北に走る道と、西に向かってまっすぐ伸びる目抜き通りが交差している。周辺には比較的新しいマンションなども建っていて、建築中のものもある。あちこちに大きなマンションが生えるのは、大都市だけではなくて山口のような地方都市にも共通していることなのだ。