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東京からなんと約10時間…“鉄道だとずいぶん遠い終着駅”「宮崎」には何がある?

2022/12/26

genre : ライフ, , 歴史, 社会

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 きっかけは、1960年に清宮貴子内親王(島津貴子さん)と島津久永さんが新婚旅行で宮崎を訪れたこと。以後、しばらくの間ハネムーン=宮崎が定着。1970年代前半には、およそ3割の新婚カップルがハネムーン先に宮崎を選んだのだとか。女性誌の『an・an』も、たとえば1973年11月5日号で「宮崎ハネムーン物語」なる特集を展開している。

 ただ、新婚旅行のメッカとしての宮崎のイメージは、少しずつ後退していった。海外旅行の自由化やジャンボジェットの登場で、海外が主流になっていったからだ。新婚旅行といえば宮崎だった時代は、もう半世紀も前のことである。

 

 新婚カップルが大挙して訪れていた時代の宮崎駅はまだ地上だったが、いまの宮崎駅は駅前にフェニックスが植えられた白亜の高架駅。駅前からは、まっすぐ西に向かって大通りが延びている。高千穂通りといい、まさに宮崎市街の目抜き通りたる存在だ。

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駅前をうろうろしていると、何やら細い道が…

 その道をまっすぐ歩いて……もいいのだが、少し駅前をうろうろしていると、高千穂通りのすぐ南側に、それと並行してちょっと細い道が通っているのが見つかった。

 
 
 

 この道を西に歩いて行くと、10分足らずでアーケードの中に突入した。若草通りといい、さらに国道220号(橘通り)と交差した先は一番街と名を変える。この、アーケードが橘通りと交わる一帯こそが、宮崎の中心市街地だ。

 
 

 駅前からの高千穂通りと橘通りの交差点には、南九州に展開する百貨店・山形屋。その向かいにはMEGAドン・キホーテの入る商業ビルがあるが、こちらも以前は地場の橘百貨店だった。

 
 

 橘通り沿いにはこうした商業施設が建ち並び、ひとつ西にいけばいわゆる“ニシタチ”と呼ばれる南九州随一の歓楽街が広がっている。県都といっても人口40万人程度の宮崎市。だが、その市街地に広がる歓楽街ニシタチは、人口以上に規模が大きい。

 

 訪れたのは真っ昼間だったが、雑居ビルにはスナックの看板がひしめき、地元の旨いものを食わせてくれそうな店も建ち並ぶ。なんでも、宮崎はスナックの数が日本で一番多いそうだ。1956年の赤煉瓦というバーの開店をきっかけに歓楽街が形成され、いまのニシタチが形作られた。酒を飲むといったらスナックで。それが宮崎の文化なのだ。