現役内科医の傍ら、各メディアでコメンテーターとしても活躍するおおたわ史絵氏。2018年からは法務省矯正局の医師として刑務所に収容されている受刑者の診療にもあたっており、今年11月には実際のエピソードを交えて奮闘を綴った著書『プリズン・ドクター』(新潮新書)を上梓した。
ここでは本書から一部を抜粋。刑務所という特殊な環境下で医療に向き合うおおたわ氏が目にした、衝撃的な受刑者たちの“傷”とその背景とは。
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傷が“汚い”受刑者たち
刑務所や少年院で診察をしていると、とにかく傷痕のある身体の多さに驚く。
普通のひとはなるべく体に傷をつけないように注意して生活するものだし、万が一傷を負ってもできるだけ痕が残らないための治療を受ける。それがあたりまえだと思っていた。
でも、そんな常識は塀の中では全く通用しなかった。指がない男たちの話は先にしたけれども、そんなのはまだまだ序の口だったのだ。
たとえば昔の抗争で片方の眼球を失った者。義眼も入れることなく、不自然にへこんだ瞼のままで平然と服役している。本人はその状態に慣れっこのようだが、ばったりと町で出会ったなら、ぎょっとしてつい声を上げてしまうくらいの不気味な風貌だ。
耳のない者もいた。耳なし芳一のように、切り落とされた古い傷が皮膚を醜くひきつれさせたまま治癒していた。
眼にしても耳にしても、この手の外傷は得てして治りかたがひどく汚い。傷は汚い場所でついたものほど化膿するし、清潔で適切な治療を早く受けなければ、それだけ感染が進んで治りにくくなる。
彼らの汚い傷痕が、正規の医療機関で治療されていないことは、プロが見れば一目瞭然。はなから法に触れるシチュエーションで負った傷なので、まっとうな診療が受けられる筋もない。
こんなふうに、傷痕は身体に残された生き方の記録だ。過去の凶悪な過ちは償っても清算できないことがあるのと同じで、過去の汚れた傷もまた消し去ることはできないのだ。