文春オンライン
《テレビでおなじみの医師の知られざるお仕事》おおたわ史絵が取り組んでいる「塀の中の懲りない面々」との真剣医療勝負

《テレビでおなじみの医師の知られざるお仕事》おおたわ史絵が取り組んでいる「塀の中の懲りない面々」との真剣医療勝負

プリズンドクター

2023/01/03

自室で手の指を噛み砕いた男は、治療後にも……

 私も矯正医療の世界に足を踏み入れて数年が経とうとしている。だから少しは刑務所の診療に慣れてきたと思っている。

 それでもいまだに理解を超えるレベルの傷を持つ受刑者に出くわすことがある。

 とある殺人罪の被収容者は、自室で手の指を噛み砕いた。骨が見えるくらいまで深く噛んだ。 

ADVERTISEMENT

 血だらけになって刑務官に発見され、すぐさま応急処置で外科のドクターが縫合した。だけれど、その晩にまた噛んで、こんどは完全に断裂するまで嚙みちぎってしまった。

 もちろんこんなことをしでかした理由など常人にはわかるはずもない。妥当な説明がつかない。はっきりしているのは、彼が相当な精神の異常を来しており、裁判でも精神鑑定が行われたということくらいだ。

 とうてい理解できないレベルの身体の傷がこの世には存在する。

 その傷の深さは、ある意味で彼らの精神状態を反映している。

©️iStock.com

 毎日のようにニュースでは異常性を伴った事件が伝えられている。

 アナウンサーの読み上げる、「容疑者は精神科通院歴がありました。刑事責任能力の有無を調べるため、精神鑑定が行われる見込みです」の原稿。

 もちろん精神科通院歴があろうとなかろうと、そんなこと、ほとんどのケースでは犯罪に関係ない。病人と犯罪者をいっしょくたにしてはいけない。 

 また、精神鑑定の結果、多少の異常を認めたところで、それがすなわち無罪に直結するわけでもない。

 事実、異常があれども「責任能力あり」と判断されるケースだってたくさんある。病気だからなんでも無罪放免になると思ったら大間違いだ。

 私は医者としてそういうニュースを耳にするたびに、きまって虚無感に襲われる。
被害者も関係者も、本当は法的に無罪有罪の結果だけを問いたいわけじゃないのだろう。それよりも、どうして事件を防げなかったのか? そのことのほうが何倍も大切なことだ。

 犯人らの精神の異常をもっと早く正確に判断する手段はなかったのか? 止められなかったのか?

異常性の治療は本人の意思にまかされている

 この問題を考える時、医師の立場からすれば少しでも治療に繋げていれば起こらなかった犯罪はいくつもあると感じる。

 たとえ現代の医療では異常性を完璧に治癒させることはできなくても、取り返しのつかない犯罪者になる前に止めることくらいはできるのではなかろうか。

 事件が起きてからでは遅い。未然に医療が介入できる仕組みが必要だ。諸外国では薬物乱用や病的窃盗、性犯罪などには再犯防止のための治療を受ける義務を課しているところもある。

 だが日本はまだまだそこまで及ばない。異常性の治療は本人の意思にまかされている。

 一日も早く、この国も変わらなければいけない。

 罪を犯す異常性を抱えた人間、もしも彼らを止めることができるとしたら、それは法でも罰でも力ずくで押さえ込むことでもない。医療の力しかないと思うから。

プリズン・ドクター (新潮新書)

おおたわ 史絵

新潮社

2022年11月17日 発売

《テレビでおなじみの医師の知られざるお仕事》おおたわ史絵が取り組んでいる「塀の中の懲りない面々」との真剣医療勝負

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー

関連記事