イラスト 中村紋子

 ゼミ生四人を喪った軽井沢スキーバス転落事故から二年。重傷を負い、未だに手術が続いている卒業生もいます。今年も一月十五日を前に、取材依頼が相次ぎました。法政出身の若い記者が多く、事件を他人事ではなく考えてくれる姿勢を嬉しく感じました。

 一月十四日、現地を訪れたボクは、坂道を登り献花台に花を四束供え、その場で取材を受けました。その傍らで、寒空の下コートも着ないでずっと寄り添ってくれていたのが地元・軽井沢高校の生徒さんでした。彼らは生徒会の役員で、学校新聞『軽井沢高校新聞』の復刊にあたり、身近で起きた二年前のバス事故を、改めて自分たちの問題として捉えたいとわざわざ現地にも足を運んでくれていました。

 事前に準備してきた質問は、十六項目! どれもまっすぐな質問ばかり。たとえば「私たちは何をすればいいのか」。事故について学習し、千羽鶴を折って供えたけれど、“それだけでいいのか”という感覚があると。ボクは、こう答えました。亡くなった学生は一人ひとり、現実の「今」を全力で輝いて生きていた。助かった学生は、ハンディを負い、迷いながらも精一杯生きている。君たちも、犠牲者を悼むとともに、自分の生き方を考えてほしい。日々をこなすように生きるのではなく、人生を「ガッツリ」生き抜いてほしい――と。

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 真摯に何かを感じ、学びとろうとする彼らに、輝く希望を見た気がして、辛い日に励まされ勇気をもらえました。

 事故を受けて法整備が進み、営業所を巡回指導する「適正化センター」も全国十箇所に設置されたけど、肝心の指導員が全然足りない。北信越地域はたった二人よ! 国交省は今後三倍に増やす予定というけれど、「もし自分の家族が事故にあったら」という想像力を働かせて安全の実体化に取り組んでほしい。若者たちは、もう歩き始めていますよ。