そうした明治神宮一点突破の原宿駅の様相が変わったのは、戦後になってからだ。戦後直後はしばらく連れ込み旅館が出現するなどあまり風紀もよろしくなかったようだ。
それは徐々に改善され、代々木練兵場の跡地に設けられたワシントンハイツ、つまりは米軍将兵たちの住宅の影響もあって外国文化が流入。東京オリンピックに合わせて表参道が整備され、高級マンションの建設も進んだ。
1970年代に入って渋谷が若者文化の中心としての地位を確立すると、原宿もその影響を大いに受けて流行の発信地へと発展してゆく。1977年からは表参道の歩行者天国がスタートし、1978年にはラフォーレ原宿が開業している。
明治通りを北に向かうと…
神宮前の交差点から明治通りを少し北に向かう。日露戦争の英雄・東郷平八郎を祀る東郷神社のすぐ手前には、原宿駅前に向かってまっすぐ伸びる竹下通り。これもまた、原宿を代表する通りのひとつだ。
竹下通りと例えばキャットストリートなどとの違いはこれまた語る言葉を持たない。ただ言えることは、ここも人だらけ、ということだ。だいたいが原宿は若い人や外国人の姿が多い。
たまたま訪れたときはサッカーW杯の日本対コスタリカ戦の翌日だった。すれ違う若者たちの多くが、その話ばかりをしていた。「すげえつまらなかった」「見て損した」「どうせダメだろ」……。そんなネガティブなことばかりを言っていた。その後の日本代表がどうなったのか、それは皆さんがよく知っているとおりです。
ともあれ人また人の原宿の町。ときおりたいそうな行列が出来ている店も見かける。何を目当てに並んでいるのかはよくわからない。知らないうちに新しい流行が生まれて、そして消えているのだろう。
日本の“クレープ発祥の地”竹下通りには今もナゾの人だかりが…
竹下通りが原宿を代表する通りになったのは、1980年代に竹の子族が登場してからのことだという。次々にタレントショップが店を開いたという竹下通りは、表参道や裏原宿と比べると比較的年齢層が低いのが特徴だとか。
実際にいま竹下通りを歩いている人がどれだけ若いのかは、見た限りではよくわからない。が、ひとつ気になったのは、相も変わらずクレープ店の前には人だかりができている、ということだ。