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じつは忍者の町だった“300万人が押し寄せる神社の最寄り駅”「原宿」には何がある?

2023/01/02

genre : ライフ, , 歴史, 社会

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 竹下通りは、日本におけるクレープ発祥の地といっていい。1977年にかふぇ・くれーぷやマリオンクレープが竹下通りに小さな店を開き、いまのスタイルのクレープを販売した。

 当時は知名度が低く、出版社を回って雑誌に売り込んだのだという。取り上げた雑誌の中のひとつが、『anan』。アンノン族の隆盛とともに、クレープもすっかり流行の食文化として定着していった。

 が、それからのちもいくつもの流行の食べ物が生まれては消えた。タピオカドリンクなんてその最たるものだ。ところが、クレープは半世紀近く経っても変わらずに竹下通りで人だかりを作る。たいしたものだ。

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ひっそり見える“宮廷ホーム”。最後に使われたのは…

 そんな人で溢れる竹下通りをやっとのことで抜け、再び原宿駅前にやってきた。竹下通りの正面にあるのは原宿駅の竹下口。こちらは新しく広々とした駅舎がある表参道側とは反対に、昔ながらの小さな出入り口だ。

 

 この竹下口から、線路沿いを北に向かって歩いてゆく。人通りがだんだん少なくなってきたところで、正面に見えるのが通称“宮廷ホーム”、皇室専用のホームである。

 原宿駅の宮廷ホームはお召し列車発着専用のホーム。大正天皇が御用邸に静養に向かう際に利用するべく、1925年に設けられた。大正天皇は翌1926年8月に葉山御用邸に向かうために使っており、これが最初の利用であった(大正天皇は葉山御用邸で崩御している)。

 昭和に入っても、原宿の宮廷ホームは何度も使われてきた。駅員たちは乗車の2時間以上も前から入念に準備を重ねたという。美智子様がホームの上でよろけた際は、舗装を直すほどの力の入れようだったとか。

 が、平成に入ると使われる場面が減っていき、もう20年以上使われていないようだ。そんな宮廷ホームに向かう道、線路の脇の壁沿いに、小さなレンガが置かれていた。そこにあるのは「お召し列車通り」の文字である。

 

 東京の西の外れの小さな村に生まれた原宿駅は、明治神宮の登場によってその最寄り駅として大きな役割を担い、さらに宮廷ホームによって“皇室のための駅”としての性質を強めた。戦後になると、そうした特性はそのままに、流行の町・原宿の玄関口という新たな個性を得ることになる。いくらかの変化はありながら、いまもそれは変わっていない。

 原宿駅から東に出れば、流行の町。西に出れば、明治神宮。普段は表参道のある東側が人で溢れて賑わい、明治神宮に入ればうってかわって静謐な空間だ。それが、初詣の時期はまた逆転。明治神宮には300万人が訪れ、閉めている店も多い表参道側はいつもよりは静かな時が流れる。その2面性こそが、原宿駅の魅力なのである。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。

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