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芸名にこめられた意味

 石原が選ばれた年のスカウトキャラバンの審査員には、『わたしのグランパ』の原作者である作家の筒井康隆を審査員長として監督の東陽一も列席した。東はこのときを振り返って、《他の子が履歴書に、“女優になりたい”“タレントになりたい”と書いてたのに対し、石原さんは“聡明な女優になりたい”と書いていた。まずそこに惹かれましたね。(引用者注:『わたしのグランパ』で石原が演じる)珠子に聡明さは欠かせない大事な要素だし、何より映画を作っている僕に必要なのは、タレントではなく女優なんです。僕は断固彼女を推そうと身構えてたら、審査員全員が彼女を推して……》と明かしている(『キネマ旬報』2003年4月下旬号)。

「聡明な女優になりたい」とは、彼女がデビュー当時のインタビューでも折に触れて口にしていたことだ。その芸名も、「石原」は「原石」の字をひっくり返し、そして「さとみ」は「聡明で美しい」という意味を込めてつけられた。当初は漢字で「聡美」にする案もあったという。ホリプロとしては石原を最初から俳優として育てる方針で、アイドルにありがちなキャッチコピーもつけず、バラエティにも出演させないと決めた。

©文藝春秋

 そもそも石原は小学生のころ、ラジオのパーソナリティになりたかったという。毎朝、目覚めると母が聴いていたラジオが流れていて、自分でもやってみたいと思ったのだ。それが中学生になってドラマや映画を見るようになると、演技をするのもいいなと思うようになる。ちょうどあるドラマで藤原紀香がラジオパーソナリティを演じるのを見て、俳優になれば両方できると気づいた。また、ひとつのドラマでヒロイン役だった女優が、べつのドラマではライバル役のいやな人物を演じているのを見て、私も演技を通じて新しい自分を発見できるのではないかと考えたという(『婦人公論』2003年12月7日号)。

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大御所俳優にかけられた言葉

 デビュー当初に掲げた目標も「どんな色にも染まれる女優になる。色でいえば『白』」であった。それを実現するに十分なポテンシャルを石原はすでに持っていた。前出の初の主演ドラマ『窓を開けたら』では、茶髪にして、ちょっと反抗的なヒロインを演じた。劇中では小林稔侍演じる伯父に生意気な口を利いて嘲るシーンがあり、撮影後、小林から「うまかったね。思わず本当にキレそうになったよ」と言ってもらえてうれしかったという(『an・an』2003年5月28日号)。