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 その後も彼女は俳優として華々しい活躍を見せる。デビュー3年目の2005年には、映画『北の零年』で吉永小百合の娘を演じ、またNHKの大河ドラマ『義経』では源義経の恋人・静御前の役に抜擢された。さらに2006年には『奇跡の人』で舞台に初挑戦する。舞台ではその後、『幕末純情伝』(2008年)で、劇作家・演出家のつかこうへいの洗礼を受けた。つかはこの2年後に亡くなるが、稽古をつけたのは私が最後だと思うと、石原は振り返っている。つかはすっかり彼女に惚れ込み、電話で「2年後にやる石原君の芝居を、今考えてるんだよ」言ってくれたこともあったという(『週刊朝日』2012年12月7日号)。

20代で迎えた「俳優人生の危機」

 こうして振り返ると、石原はデビューからずっと順風満帆にしか思えないのだが、じつは20歳から23歳にかけて、自分はなぜここにいるのかわからなくなる、アイデンティティクライシスのような状態に陥っていたという。

 すべてを仕事のためにと思い、大学進学もあきらめたが、ちょうど同年代が大学を出たぐらいの2010年、思い入れのあったラジオや雑誌のレギュラーの仕事からの“卒業”が重なる。このことが危機に拍車をかけ、心配したマネジャーの勧めで、デビュー以来初めて1ヵ月の休みをとり、単身ニューヨークに渡った。それまで何事も他人に頼ってばかりで来たが、このときホームステイ先や語学学校も自分で決め、さまざまな人と付き合いながら自分が何をやりたいのか模索し、「すべては自分次第」と発想を転換することができたと、のちに語っている(「with online」2021年5月26日配信)。

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©文藝春秋

 その後、27歳になっていた2014年にも、再びアイデンティティクライシスを経験した。映画『風に立つライオン』のロケでアフリカに渡ったとき、現地の子供たちとうまくコミュニケーションがとれず、「人間力」の必要性を痛感したという。この翌年、別の映画のキャンペーンで訪れた長崎で、以前、原爆をテーマとしたドキュメンタリー番組で出会ったおばあさんたちに会いに行った。そこで泣いて喜んでくれたおばあさんたちを見て、せっかく人前に出る仕事をしているのだから、みんなの心を明るくさせる人になりたいと誓ったという(「with online」2021年5月26日配信)。

 こうした経験は、近年の代表作である映画『シン・ゴジラ』(2016年)での日系米国人の役(祖母が被爆者という設定だった)や、ドラマ『アンナチュラル』(2018年)の主人公の法医解剖医の演技などにも生かされているのだろう。その石原は2020年に一般男性と結婚、2022年には第1子を出産したと報じられた。このため現在は休業中だが、この年末の12月24日には36歳となり、デビュー20年を迎える2023年、新たにどんな動きを見せてくれるのだろうか。