代々続く釣り師の名家、釣(つり)一族の末裔・大将(たいしょう)が、並み居る釣り師のライバルたちと競いつつ、その回の“大物”を釣り上げるという内容で、奇抜なライバル・キャラと釣りテクニックでたちどころに全国の子供達を虜にした。
子供たちといっても結構な年齢の幅のある「子供たち」だ。というのも筆者もそのひとりで、当時高校生になっていて想定される「コロコロのメイン読者層」ではなかったはずなのにもかかわらず、『釣りバカ大将』のおかげで買い止め時期を逸して買い続けていたのである。
“釣りンピック”という釣り師たちのオリンピックでの、大富豪のぼんぼん釣り師・流竿次郎(ながれ・さおじろう)との初戦に勝ったエピソードが、’80年10月号掲載の読み切り第1回。そこでアンケート上位を獲得し、晴れて連載に至る。以降、竿次郎とコンビを組んで様々なライバルたちと釣りバトルを展開することに。
当時、「コロコロ」ではすがやみつる先生の『ゲームセンターあらし』(’78年)が『ドラえもん』(’70年)に肩を並べる大ヒット。かつての『巨人の星』(’66年)や『タイガーマスク』(’68年)等のスポーツ根性漫画、いわゆる“スポ根”の、スポーツをホビーに替えた印象だが、これがバブル経済真っ只中の子供達に受けに受けた。
筆者も勝手に“スポ根ならぬホビ根”と受け止めて楽しんでいたが、この『釣りバカ大将』はその流れを受け継ぐ第2陣的に登場し、一時代を作る大ヒットを記録していったのである。
最初は釣り好きじゃなかった先生。きっかけは…
そんな桜多先生だが、ご自身は根っからの釣り好きだったわけではない。
筆者が初めて先生にお会いした1997年2月18日時点でのお仕事は『釣りバカ伝』(笠倉出版)と『ゆうゆうフィッシング』(スポニチ)の連載。学習研究社の釣り雑誌「フィッシング」、「シーアングラ」ではレギュラー釣りリポーターを務める等釣りずくめで、先生ご自身「漫画じゃなくって釣りが仕事だね」と仰っていた。