漫画家の桜多吾作先生が令和4年12月12日に亡くなっていたことがわかった。群馬県にある療養先の施設で、11月末に新型コロナウイルス感染が判明。救急搬送されたものの肺炎を発症し、74歳で永眠された。
「月刊コロコロコミック」(小学館)に連載され大ヒットした『釣りバカ大将』や、永井豪先生のマジンガーシリーズのコミカライズなどで知られる桜多先生は、1948年3月16日生まれの山形県上山市出身。上京後、電子工学系の会社への就職、石ノ森章太郎先生のチーフ・アシスタントを経て1969年、少女漫画の『ボーイフレンドやーい!』(山上純一郎名義)でデビューした。
だが、“女性ファンの反応が理解できない”という理由で少年漫画に転向。ちょうど兄弟子にあたる永井豪先生がご自身の創作チーム・ダイナミックプロを創設した時期に、同プロに参加。
その後、『マジンガーZ』(’72年)、『グレートマジンガー』(’74年)、『UFOロボ グレンダイザー』(’75年)の“マジンガー・サーガ”すべてをコミカライズ。当時は原作者である永井先生より多くマジンガーシリーズを描いていた。
その内容も『グレートマジンガー』中盤以降から完全オリジナル展開となり、シリーズ完結編である『グレンダイザー』のラストは人類が核戦争を起こし、それに怒った宇宙意志により全滅。主人公たち5人と敵ひとりが生き残る(うち3名はコールド・スリープ)、という衝撃的結末で幕を閉じ、当時の子供達にトラウマを与えた(筆者もそのひとり)。
そんなマジンガーシリーズも印象的な桜多先生だが、一漫画家として見た場合、やはり代表作は先の少年釣り漫画『釣りバカ大将』ということになるだろう。
「コロコロ卒業」を見送らせ続けた『釣りバカ大将』
『釣りバカ大将』は1980年の「コロコロ」12月号から’83年の8月号まで連載。ほか「別冊コロコロ」や「小学四年生」にも連載され、続編の『新・釣りバカ大将』と合わせて単行本全15巻にわたる大作となった。