創刊から45周年を迎えた今もなお、子ども向けマンガ誌の絶対王者として君臨する「月刊コロコロコミック」(小学館)。出版各社が挑み、敗れ去ったその王者の座に、かつて唯一迫ることができたのは、講談社の「コミックボンボン」のみだった。様々なホビーをテーマに、両誌が壮絶なバトルを繰り広げたその頃を振り返る。
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少年の心を掴むべく繰り広げられた熱き“子ども向けマンガ誌”の戦い
70年代末、「週刊少年マガジン」「週刊少年チャンピオン」の躍進で、少年マンガ雑誌の対象年齢は徐々に上がっていった。このトレンドに反比例するように、子ども向けマンガはすっかり蔑ろにされるようになっていた。
そんな時代に、もう一度子どもたちのためのマンガを作りたいという熱い思いとともに、77年に創刊されたのが「月刊コロコロコミック」(小学館・以下「コロコロ」)だった。
創刊当初こそ『ドラえもん』をはじめとする藤子不二雄作品を中心にした構成だったものの、ほどなくしてRCカー、チョロQ、ビデオゲームなどホビー情報や『ウルトラマン』などの特撮、プロ野球情報などを取り扱うようになる。
分厚い誌面と、子どもたちが求める情報が満載の「コロコロ」は、一度は風前の灯火となった児童誌を見事に復権させる。
その結果、「100てんコミック」(双葉社)、「月刊少年チャレンジ」(学習研究社)といった似たコンセプトの雑誌が他社からも創刊されるようになる。そして81年に登場したのが、長年「コロコロ」のライバル誌として立ちふさがることになる「コミックボンボン」(講談社・以下「ボンボン」)であった。
「子どもたちが大好きな人気ホビー」「下ネタギャグ」「藤子不二雄」といったいかにも「クラスの人気者」的メジャー路線をとる「コロコロ」に対し、「ボンボン」が打ち出したのは「プラモデル作例記事&マンガ(ただし、ある程度の技術を要する改造を行う)」「アニメのコミカライズ(とりわけ、サンライズ系列のロボットアニメに特化)」「お色気、バイオレンス要素強め」という少々背伸びしたものであった。
「ボンボン」が起用した漫画家を見てみると、特に初期は永井豪とダイナミックプロ系列の作家が複数見受けられ、やはりどこかアナーキーな匂いが漂うラインナップである。
児童誌創刊ブームのなかでも後発の「ボンボン」だったが、そのほかのライバル誌にはない強力なコンテンツを擁していた。それが「ガンプラ」である。
80年頃より急激な盛り上がりをみせた、アニメ『機動戦士ガンダム』。その人気を受けてバンダイより発売されたプラモデル──通称「ガンプラ」は、まさに社会現象ともいえる人気の過熱ぶりをみせた。