そこで「やっぱり子供の頃からお好きだったんですか?」とお聞きすると「いや全然。ガキの頃は自前で弓矢を作って、梟(ふくろう)なんかを狩ってた」とワイルドなお答えが。
転身のきっかけは、桜多先生が「テレビマガジン」(講談社)で『ホームラン・コング!』(’77年)という野球漫画を連載していた時の担当編集・加賀博義氏だった。
ほぼ同時期に加賀氏にもお話を伺ったが「僕が桜多先生を釣りバカにしちゃったようなもんなんだよね。お陰ですっかり漫画を描かなくなっちゃった」と苦笑されていた。
加賀さんは熱狂的な釣りマニアで、当時、桜多先生の運動不足も心配して釣りに誘ったところ、最初はしぶっていたものの、すっかり加賀さん以上の釣りバカになってしまったという。「もう今じゃ僕なんか足元にも及ばない釣りの先生ですよ」と語る加賀さんの笑顔とも苦笑いともつかぬ表情が忘れられない。
桜多先生はのめり込みタイプの作家で、そのこだわりや凝り性はハンパなかった。ちょうどマジンガーシリーズを描かれていた時期には“SF・ファンタジー”にハマっており、その影響が作品の随所に見られる。やがて釣りにハマり、『釣りバカ大将』が誕生したのだ。
「ごめんごめん、捨てちゃった」
その反面、自身の作品にはものすごく無頓着なところがあり、こんなこともあった。
ある時、桜多先生から電話がかかってきて「ひょっとして岩佐君、『グロイザーX』好きだった?」と聞かれた。『グロイザーX』(’76年)は桜多先生原作の、アニメ化前提のスパロボ作品。「もちろん好きですよ」と答えると
「そっか……こないだ押入れから『グロイザー』のデザイン画とか原稿とかいっぱい出て来たんだけど、“もう要らないや”と思って捨てちゃったんだよ」
私は言葉が出なかった。「あとからキミのことを思い出して、そういや好きなんじゃないかな? あげればよかったかな? と思って電話したんだ」と言葉が続いた。
「なんてことを……!」と思わず動揺する私に、先生は「ごめんごめん。今日になって思い出したから電話したんだけど……ごめんね」と謝罪。どう考えても先生が謝るべきお話ではないのだが、混乱して「次に捨てるときは電話してください」と口走ってしまった私を覚えていてくれたのだろうか、それから1週間ぐらいしてまた先生から電話があった。