自殺直前の会話は「死んだ孫の保険金はどうなったか」
93年10月に莉緒ちゃんが“事故死”をしたということは、電話ではなく、手紙で知らされたが、理由についてはなにも書いていなかった。祥子さんはその後、残り2人の娘を元夫のもとに戻している。
「(祥子さんから)連絡があって、『久留米の託児所に預けたけん』て。それで引き取りに行ったとです。ただ、その子らを祥子が連れてきたかどうかは、当時聞いてなかったもんで、わからんとです」
さらに亡くなった莉緒ちゃんの遺骨は別の方法で届けられた。
「こっちが(遺骨を)送れ送れって言いよったとですよ。そしたら、『鳥栖(佐賀県)の駅前のコインロッカーに入れた』ち、ロッカーの鍵が送られてきたとです」
その時期にはすでに、祥子さんの口調はかつて知る彼女のものではなく、別人のようになっていたと語る。
「孫が亡くなったあとで、こっちが何度も帰って来いと迫ると、そのうち、弁護士の名前と電話番号を挙げて、そこに電話して話してくれやら言うようになったとです。あとで警察の人が言うには、そりゃ本物の弁護士やなくて、松永のことやろうって……。弁護士について、昔はメモば残しとったとですけど、祥子が死んでから捨ててしもうて……」
行雄さんが祥子さんと最後に話したのは、彼女が“自殺”する2日前のことだ。
「死んだ孫の保険金はどうなったかという話でした。『それは婿さんの方に行っとるはずやろうもん』と言うと、納得したようで、電話ば切ったんが最後でした」
その後、大分県警からの連絡で、行雄さんは娘の“自殺”を知らされることになる。
「自分から飛び込んだかもしれんばってん、祥子の遺体ば引き取りに行ったときに、あの子は家を出たときと同じ服装でした。(保険金を合わせて)1300万円近い金額を送ってもらっとるとにもかかわらず、預金口座には3000円しか残されとらんかったとです」
その話を行雄さんから聞いてから20年が経った。あれからなにか新しい話は出てきたのだろうか。私は現在の状況を取材することにした。