祥子さんの左手に包帯、頬には痣が…
とはいえ、02年に松永と緒方が逮捕された際、家宅捜索によって押収された写真類があり、それによって生存時の祥子さんが虐待を受けていたことが判明する。以下のことを論告書が明かす。
〈平成5年(93年)夏ころに撮影されたと思われる写真(写真番号は省略、以下同)では、末松の左手に包帯が巻かれており、さらに、同年12月10日ころ撮影された写真には、末松の頬に痣らしきものが見え、同月24日に撮影された写真では、末松は、ホテルの洋室の床に正座させられている様子である。(中略)
そして、同年(94年)2月23日ころに撮影された写真では、乱雑に切りそろえられた髪型をし、化粧気もない生気を欠いた表情で正座する末松が写されている。
以上の末松の写真を見れば、少なくとも、末松が、苦境にある被告人両名のために多額の現金を提供してくれた人間として丁重に扱われていた痕跡は皆無であり、むしろ、その身体の負傷状況や、ろくに美容院等にも行かせてもらえずにいた様子などからは、被告人両名が、種々の生活制限や虐待を通じ、末松を支配していたことが認められるのである〉
私は02年6月に、筑後地方に住む祥子さんの父・末松行雄さんから話を聞いている。
「祥子は(93年)4月に家出したとですけど、その前に、あの子が毎晩出かけるいうことを婿さんから聞いて、私が問い質したんです。そうしたら、『緒方さんという知り合いに、もうすぐ子供が産まれるとやけど、旦那さんが助からんごとある(助からない)病気で、ものすご大変なんよ』と言うんです」
松永は祥子さんに対して、緒方はワールドの事務員だと説明しており、それを信じた祥子さんは、緒方の出産費用などで約240万円を振り込んでいる。行雄さんは続ける。
「私が注意しても、夜に出歩くのを止めないため、それについて咎めると、涙を流しながら、『緒方さんはかわいそうな人なの。貧乏で子供のミルク代もなかけん、米のとぎ汁やら飲ませようとよ』と言うのです」
松永は自分との結婚をちらつかせて、子供を連れて自分のもとに家出してこないかと持ちかけた。そして祥子さんは3人の子供を連れて家を出てしまう。祥子さんが聞かされていた緒方の話は、あくまでも松永が作った、彼女の同情を誘うための“設定”である。だが、松永に対する恋慕が、そうした嘘を見抜けなくさせてしまっていた。