結婚をエサに寄生され、娘は不審死、本人は自殺に追い込まれた
この際の状況について、松永と緒方の福岡地裁小倉支部における公判での、検察による論告書には以下のようにある。
〈被告人両名(松永と緒方)は、山形に代わる金づるとして、松永がかつて交際していた末松に着目し、緒方が子供を抱えて窮乏しているなどと申し向けてその同情を誘い、これに付け込み、平成5年(93年)1月19日から同年4月2日までの間、前後4回にわたって、末松から、(松永と緒方の)長男の出産・育児費用等の名目で、現金合計240万円を受領した〉
緒方が長男を生んだのは93年1月下旬のことだ。論告書は続ける。
〈また、被告人両名は、同月ころ、末松をして北九州市小倉北区東篠崎×丁目「東篠崎マンション」(仮名)30×号室を契約させ、同室を新たな隠れ家とした。他方で、松永は、末松をその三つ子と共に家出させ、同月下旬ころ、これも同女名義で契約させた同市小倉南区内の「横代マンション」(仮名)60×号室に入居させた。末松は、同年7月×日には当時の夫と離婚し、その後、被告人両名も同室に移り住み、末松との共同生活が始まった〉
そこで松永は祥子さんに対して、自身との結婚をちらつかせながら、子供の養育費等の名目で彼女の実父や前夫にカネの無心をさせた。結果として、これまでに彼女が渡した240万円とは別に、93年6月10日頃から94年3月9日までの間に1141万円を出させている。その渦中に悲劇が起きた。以下、論告書から。
〈平成5年10月29日、末松の三つ子の1人であった末松莉緒(当時2歳)が、頭部打撲による急性硬膜下血腫により死亡したため、被告人両名は、その直後に、隠れ家を前記「横代マンション」60×号室から、末松の実父名義で借りていた北九州市小倉北区の「三郎丸ビル」(仮名)40×号室に変更した〉
この莉緒ちゃんの死亡については、自宅での出来事であることから、当然ながら警察による聴取も行われており、当時は事故であるとの結論が出されていた。後の松永らの裁判での論告書は、この時期に祥子さんが実父や前夫から受けた送金額を月別に挙げている。そこでは莉緒ちゃんが死亡した直後から急激に送金額が増え、93年11月から94年1月までの3カ月間は計約630万円とある。
この点について論告書は、〈この時期、被告人両名が、莉緒の死亡を受けて、更なる逃亡の必要に備えていたことがうかがわれる〉と説明。しかし、94年2月になると祥子さんへの送金額が47万円に減り、同3月も、9日に71万円を送ってもらったが、それ以降は送金が止まっていることで、同論告書は〈末松の金づるとしての利用価値も失われつつあったことが認められる〉と指摘する。
そして祥子さんは、94年3月31日に、大分県別府市の海岸で水死するのだ。この案件についても警察による捜査が行われ、自殺であり事件性はないとの結論が出されている。