「地元」で再現され続ける世代間の貧困
文化資本(学歴や文化的素養)や社会関係資本(人脈、付き合い、信頼など)を持つ家族や知人がいない環境では、閉ざされたコミュニティにおいて年長者から年少者へと「人生設計」やそれにまつわる選択などが連鎖しやすい。
物事を考える際に「周りがみんなそうしているから」という判断基準を用いることを疑うほどの知識もなければ、他の選択肢を提示してくれる人も周りにいない。特に大学進学率の低さは貧困の世代間連鎖の典型的な例であり、貧困からの脱出を困難にしている要因の1つである。
親族や知人の中に大学を卒業した人がいない場合、高等教育に対しての知識を得る機会がなく「大学に行く」という発想すら本人にないために、親の言うままに高校を出てすぐに働く以外の選択肢を得られにくい。
このとき、たまたま身近に大学進学予定の友人がいたり、知識を持っている年長者がいたりすればいいのだけれど、そういった人々は地元から去って都市部へと集中する傾向にあるため、結局は自分や家族と似た属性の人々だけが地元に残り、その文化圏を維持しつづける仕組みになっている。
高3の夏、進路相談役を務める教師に呼び出されて
私は貧困家庭出身であるが、中学卒業後に地元から少し離れた公立の進学校に入学したために、結果的に大学に進学することになった「少数派」のケースだった。親からは「高校を卒業すればすぐに働いて家計を助けるように」と耳にたこができるほど言われていたため私自身もそれが当たり前だと思っていた。
しかしいざ高校に入ってみると、同級生たちはみな大学受験のために1年生からすでに塾に通っており、会話も「どこの大学に行きたいか」「進路は理系か文系か」「入試に有利になる活動をしているか」といったものばかり。大学は金持ちの家に生まれた子しか行けない就職予備校である、くらいの偏った知識しか持っていなかった私は当時、非常に驚いた。
とは言っても大学は自分とは縁遠いものだという認識は変わらず、友人らが夏期講習や冬期講習で勉学に励むなか、私は校則で禁止されているアルバイトを高1から始め、働いていた居酒屋のオーナーの助言で客には年齢をごまかしつつ、実家から逃げるための資金づくりをしていた。
高3の夏、進路希望調査用紙に「就職」とだけ書いて提出した私を呼び出したのは進路相談役を務める教師だった。彼は「就職を希望したのは300人以上いる同級生の中でお前だけだった」と前置きした上で「もし経済的な事情で就職を希望しているのであれば、奨学金を借りてでも大学に行っておいたほうがいい」と説得してくれた。
家庭の事情があるのでどうしても就職したいというなら就職口を紹介することもできるが、いわゆる一般職と呼ばれる事務の仕事以外に選択肢がないこと。将来的に転職を考えた際、おそらく同様の業種でしか再就職は難しいだろうこと。
何より高卒と大卒では生涯収入に大きく差があり、何かあったときにある程度の選択肢を持ちながら、経済的に自立したいと考えているなら絶対に大学進学を選んだ方がいいことを、その教師は親身になって心配し、教えてくれた。