自分の市場価値を見失わないように
――『何者』は、エッセイをのぞくと社会人になってからはじめての単行本でしたね。専業作家にならずに就職したのはどうしてですか。
朝井 大学を卒業したら就職するのが普通だと思っていたんです。親も就職すると思っていました。それに、小説を書くことについては、好きなことをしてお金をもらっているという後ろめたさがあったので、それも就職した理由のひとつになっていますね。
3年間やってみて、会社員のほうが難しいなと思いました。会社の仕事って、なんだか、とにかく人と人との間の「調整」だった気がするんです。小説家の仕事にはそれがない。編集さんを始めとするまわりの方々が「調整」の作業をすべてしてくれているからです。
小説のネタ探しのために就職したと言われることもありましたが、「ネタ探ししてやろー♪」って感覚で挑めるほど、兼業生活ってラクじゃないですよ(笑)。朝の5時に起きて原稿を書いて、会社に行って、終業後にはゲラを見たり直しの作業をして。土日も全部費やしていました。僕の場合、兼業しながらひと月に書ける枚数のマックスが70枚から80枚だったと思います。書くだけじゃなくて、ゲラも出てくるし、プロットを作らなくてはいけないし……100枚以上は書けなかったなあ。土日はファミレスをとにかくはしごして書いていました。
――家よりもお店のほうがはかどるんですか。
朝井 家にいると歌ったり踊ったりサボったり寝たりしちゃうんですよ。
――そんななかで書かれた『何者』は、採用試験に臨む学生たちの話でした。ご自身が大学生活や就職活動の時に感じたことも反映されていますよね。
朝井 コミュニケーションの変化みたいなものを書きたかった気持ちが大きいですね。自分に向けて書いた感じだったんです。読者の方にはこういう風な人間だと思われていなかったかもしれないけれど、もういいや、書こう、と思って。しかも書下ろしだったので、わりと突っ走って書いた感じがありました。だから登場人物が作中で何度か大立ち回りをして、何ページにもわたって長台詞を言うんですよね……ああ、そんな風に書いていた頃が懐かしい。
――11月末に刊行されて、翌年1月に直木賞を受賞して。受賞記者会見で「動画を見ているニートの方にメッセージを」と言われ、咄嗟に「ここで何を言っても超上から目線になると思いますので、何も言えません」と言った、あの返しはよかったですよね。あそこで励まし風のことを言っていたら叩かれていたと思います(笑)。
朝井 危機察知能力が働いたんです、たぶん。あの日は生まれて以来、いちばん人から「おめでとう」を言われた日だったんです。会社の人から「パシッとああいうこと言えるのすごいね」というメールをもらったりもして。自分でもすごいんだという気分でその日家に帰ったら、友達から電話がかかってきたんです。その子がすごく酔っ払っていたんですよ。で、「おめでとー! 会見で一生書くとか言ってたけど、一生って長いかんねー!」って爆笑されました。ああ現実! と思いました。
翌日会社に行っても「おめでとう」をいっぱい言われて、社長からドンペリをもらったりして、直木賞ってすごーい! って思っていたんです。さらに、同期の男子から「お昼一緒に食べよう」ってメールをもらったので「あ、祝われちゃう」って、メールに「おめでとう」も書いてなくて無骨な奴だなあって思っていて。それで一緒にお昼を食べたんですけれど、なかなか直木賞の話にならずに食事が終わりそうになったので、最後の最後に「今日はなんの用事だったの?」って訊いたら、「あ、そうだそうだ。朝、どうやって起きてる?」って訊かれたんですよ(笑)。僕が直木賞獲ったことを知らなかったんです。自分が見ている世界の小ささを再認識しました。会見を見ている人なんてほんの一部で、僕が直木賞を獲ったなんてゴマ粒くらいの出来事だということが分かりました。その時は「目覚まし2つつけているよ」と答えて解散しました。現実を生きていこう、市場価値を見失わないようにしようって思いました。