昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

戦後最年少で直木賞を受賞 作家のイメージを壊したい――朝井リョウ(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/05/10

genre : エンタメ, 読書

4月に退社。その理由とは

――その後も兼業作家として『世界地図の下書き』や『スペードの3』、そして『武道館』と、着実に新作を発表してこられたわけですよね。実は会社員と小説家を両立させるのは大変なのでは、という質問もすごく多かったのですが……。

朝井 僕、今年の4月30日で会社を辞めました。3年と1カ月勤めたことになります。理由は、少し先ですが、東京ではない場所に仕事場を構えて臨む仕事の依頼をいただいたからです。物凄く悩みましたが、引き受けることに決めました。また、膨大な量の資料を読み込み、勉強もしなければならないので、時間的な面でも兼業だと厳しいだろうな、と感じました。まだ詳しい内容は言えないんですが……。

 5年間作家をやってきて、自分が自分から手を伸ばす範囲みたいなものが少し見えかけていた時期だったんです。それでは成長しないだろうなと思っていた時にいただいたこの依頼は、自分からは絶対に手を伸ばさないようなジャンルのお話でした。これを引き受けるか受けないかで作家としての成長が止まるか止まらないかが決まる、という気がしました。

 その仕事をやりおおせるまで、おそらくこれから3年くらいかかると思うんですが、僕は今25歳なのでたとえうまくいかなかったとしてもまだ28歳なんです。失敗することを前提にしているつもりではもちろんないんですが、でも今が最後のチャンスかなと思いました。その仕事を終えた3年後に再就職したいと思っても、まだやり直しがきくんじゃないかな、って。

 それと、人から言われたんですが、「自分の人生がもし朝ドラになったらと考えると、いろんな仕事を引き受けられるようになる」って。それを自分にあてはめて考えていたら、30歳前に一回、東京を離れて大きな仕事をするのは、なんか、ぽい! と思って(笑)。

――東京から離れるんですね。

 

朝井 その予定です。その依頼がきた時に、内密にと言われていたので出版業界の人には話せなくて、全然出版とは関係ない仕事をしている友達に「こういう話がきているけれどどう思う?」って訊いたんです。そしたら「絶対にやったほうがいい。そんなことやらせてもらえる人いない」、「で、それをやるってことはその土地に引っ越すってことかあ」って。僕はそのときまで引っ越しを考えていなかったんですけれど、あまりにあっさり言われたこともあり、確かにそうだな、それくらいしないといけない仕事だなと思いました。

――意地悪な人たちから「やっぱりすぐ会社を辞めた」と言われたくない、という気持ちもあったのでは。

朝井 そうですね。でも、神様って、人生の転機のタイミングを3年くらいで授けるんだなって思いました。会社には申し訳ない気持ちがとても大きいです。4月に異動してくる人に引き継ぎをしようと思って4月10日を最終出勤日にしたんですが、新しい人が関西から来ることになり、着任するのが20日だったんです。なんの意味もなかった……。

――これをきっかけに、やりたいことはありませんか。

朝井 それがあまり浮かばないから、自分はつまんない人間だなと思います。資料を読んで書く話とか、読む時間がなくて断っていたオビの推薦文とか、引き受けられる仕事がいっぱいできるなってことくらいしか浮かばない。あ、でも都内で一度引越したいです。兼業中は土日に動けなかったので、引っ越せなかったんです。今、まだ学生時代に借りたアパートに住んでいて、本や資料も置く場所がないからカゴに入れて積んであるんです(笑)。パチンコみたいな状態になっているので、一回都内で引っ越したいです。

――新しいスタートを切ったばかりなんですね。

朝井 セールスポイントをひとつ失いましたよね。企業誌の方とかから「時間の使い方を教えてください」って取材されることももうないんだなって思っていて……。あと、人間っておかれた環境での100%しか能力を出さないんだなって実感して早速絶望しています。時間がたっぷりあるからたくさん仕事を引き受けても余裕だと思っていたら、全然進まない。時間を圧迫されないと調子がでないというか。だから今は内職をしたいです(笑)。