吊り橋を渡った先には…
山の中で、木製の吊り橋を目にすることはよくあるが、コンクリートとステンレスの特殊な吊り橋というのは珍しい。見えている金属部分が全てステンレスのため、架橋から27年が経っていても古びた感じがしない。見るからにお金もかかっていそうだ。
立派な吊り橋を渡って対岸へと進む。吊り橋といっても全く揺れないが、長らく廃道の状態で放置されていることを知っているせいか、あまり安心感がない。橋の中ほどに差しかかると、これまで木々によって隠されていた美しい渓谷が姿を現す。しばし見とれていたが、対岸に着く頃には再び木々に遮られてしまった。
山の中に突如現れた立派な吊り橋。渡った先に何があるのかと周辺を見回すが、これといったものは何もない。橋の先には山の壁が立ちはだかる。左右にわずかな空間があるが、木が4本植えられ、朽ちたベンチが1つあるだけだ。
ここはいったい何なのか。何のための橋なのか。考えながら、ふと木天蓼橋の親柱を見ると、“平成8年3月”と記されている。県道268号の小津トンネルの竣工は平成5年。つまり、県道のトンネルが完成した3年後に木天蓼橋が完成した計算になる。
旧道となって道が使われなくなった後に、対岸に渡る木天蓼橋が完成した。人や車の往来があったトンネル完成前ならまだしも、通行の必要がなくなった後に造られたのだから、ますます存在意義が分からない。さらに謎が増えてしまった……。
この日は一旦帰ったが、どうしても謎を解明したかった私は、3ヶ月後、そしてそこからさらに3ヶ月後に現地を訪れた。付近の住民に話を聞こうと思ったのだ。
しかし、木天蓼橋の近くに民家はない。車で県道を進み、10分ほど走ると集落が見えてきたが、外に出ている住民は見当たらない。以前は住宅を訪問してお話を伺っていたが、コロナ禍以降、そうした取材も難しく、今は極力、外に出ている住民を見つけて声をかけるようにしている。
1つ目の集落をスルーして2つ目の集落に向かう。ここで衝撃的な看板を目にすることになる。“この先カーナビの案内にかかわらず左折して下さい”の文字とともに、カーナビの絵に大きな×印が描かれている。カーナビを否定する衝撃的な看板で、これはこれで非常に気になってしまった。